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2007年10月17日

欧州演奏旅行記独逸編

7月4日からおよそ3週間、OKIさん率いるDUB AINU BANDの一員としてヨーロッパツアーに参加してきました。
「DUB AINU BAND」とは読んで字のごとく、北海道アイヌの血を引くオキさんが中心となって作られたバンド
であり、他メンバーは同じくアイヌの血を引くフトシさん、DUBエンジニアの内田くん(ウッチー)、ドラムに
沼澤さん。オキさんは4本の弦を持つアイヌの伝統楽器である「トンコリ」という弦楽器を演奏しアイヌ民謡を基にした歌をアイヌ言語で歌うのだが、トンコリの響きに様々なルーツ音楽をミックスさせた音楽をつむぎだす人だ。
今回のツアーは元来パーマネントメンバーであるベーシストのヒロヒサくんが都合により参加できない為、春先に参加を要請されて、行くことになったのだが、なかなか貴重で楽しい体験をさせてもらうことが出来た。
周った国は順にドイツ、イングランド、スペイン、最後にポルトガルの4カ国。実質演奏したのは5回という
3週間行っていた割には少ない回数であったけれども、どこもとても密度が濃かった。
ちなみにドイツはルードルシュタットという街での音楽祭、イングランドはロンドンにてオキさん親交のある「キーラ」と言うアイリッシュのバンドとの2バンドライヴ、スペインはグラナダという街で今や伝説的な「PIL」の初期ドラマーであったリチャードという人のバンドとの2バンドライヴ、ポルトガルはシネスというリスボン郊外の海沿いの町でFMMという音楽祭での演奏。

まず今回はドイツでのこと。
出発日は7月4日、成田発夜21時過ぎの便で。早朝のパリを経由して午前にドイツのライプツィヒ空港に到着。
そこから車にて1時間30分程行ったルードルシュタットというところが、今回のフェス会場。「TFF.Rudolstadt 」というフェスで、7月6日~8日の3日間に渡り街をあげてのトラディッショナルミュージック、ワールドミュージックの音楽祭。出演は6日と7日の2回で、最終日の8日にはオキさんによるトンコリのワークショップ的なものとアイヌ音楽についての講演が行われた。
到着日は演奏が無いので、とりあえず街の様子を見学。古い史跡が点在していたりする落ち着いた田舎町は心地よさそう。
宿泊先はそこから更に車で20分程は慣れたザーレという街で、ここもまたのんびりした田舎町である。
散策中.jpg
翌日、演奏自体が22時過ぎと遅いため、昼間の時間に早速史跡を見学。
史跡観光.jpg
旧跡.jpg
その後、出番まではくつろいで、19時過ぎに会場へ移動。
古城.jpg
古城の中庭にステージがセットされたり、観に来ている人達もなんだかのんびりしていて、いい感じ。
フェス会場.jpg古城中庭.jpg
自分達の演奏する場所へ移動し、我々の前に演奏しているバンドを見学。地元では人気のあるバンドのようで、かなりの盛り上がり。スカとヒップホップをベースにしたポップな曲を演奏していた。
前のバンド.jpg
彼らの終了後、自分達の楽器をセット、及び主催側にオーダーしていた機材のチェックを行ったが、ドラムキットの一部がなかなか届かなかったりスピーカーキャビネットが会場の規模に比べて異様に小さいものが用意されていたので、やきもきしたりがっくりしたり....。前のバンドの物を使えないのか聞いたが、次の別会場に持っていってしまうため、結局小さい物を使う羽目に。ステージ上の音量的にはなんとかなりそうなので、せめて見栄えを出す為、アンプケースにてかさ上げ。
こういったフェス、基本的にビッグネームとかでないと事前のリハーサルは出来ないので、簡単なサウンドチェックをした後演奏となる。
オキさん.jpg
初日という事もあって、(というか自分はDUB AINU BANDでのライヴ演奏はこれが初めて。最初のライヴがドイツのフェス、ってのもすごい話だが)なんとも固くぎこちない雰囲気に終始なってしまった。お客さん自体は盛り上がってくれて、まぁ、なんとかいけるな、という気持ちにもなりましたが。

そして翌日も同じく22時過ぎの演奏。ちなみにこの時期のヨーロッパは日が長く、21時位まで明るい。このときの会場は公園のようなところに設置された初日よりも広いテントサイト。
昼過ぎからフェス会場に入り、ケータリングで食べたり飲んだりして過ごした後、また出番前の機材チェック。今回はドラムキットもベーススピーカーキャビネットも問題なし。演奏もばっちり、お客さんも大盛り上がりで大成功。ステージ上から言葉の違う国の沢山の人達が自分達の音で踊っているのを眺めるのは、なんともいえない演奏者冥利に尽きる。

最終日はオキさん以外のメンバーはお休み。昼に会場に行き、見学しまくり。西アフリカ、マリのBassekou Kouyate というアーティストのライヴを観たり、お祭り中の街中を散歩したり、謎のフォークダンスの集いを眺めたりと海外の音楽祭の雰囲気を堪能。
バセクー.jpg
フェスの街中2.jpg
謎のフォークダンス.jpg

その後オキさんのワークショップを覗き、終わりが迫った夜のフェス会場をうろついたり。会場でバンドの皆と乾杯の後宿泊先に帰った。
祭りの最後.jpg
ちなみに東洋系の人達を全く見かけず。出演者の中にもアメリカから来たバンドに1人だけ女性アーティストが混じっていただけだった
ような。まぁ巨大で有名なロックフェスやテクノフェスではないので当然かもしれないが。
2日目の昼、フェス会場でドイツ人の父娘に、「昨日の演奏がとてもよかったよ、今日も観に行くから」と声を掛けられたが、
彼らにしても東洋人が歩いているというのが、あ、昨日の演奏者、と気づきやすかったんであろうなぁ。
とにかく、とんでもないビッグネームの人は出演してないが、あ、ローリー・アンダーソンが出てたか...(
宿泊先が一緒で、朝飯食べてるところ見た)様々な種類の音楽を老若男女が非常に和やかな雰囲気の中、楽しむという、すさんだ世の中から離れた素晴らしいフェスだった。皆優しく、変にトンガってないのも大変良し。
翌7月9日に4日間お世話になったルードルシュタット、ザーレに別れを告げ、一路車にて大都市のベルリンへ。
ベルリン目指す1.jpgベルリンへ向かう.jpgベルリンに来た.jpg

当初の予定ではすぐにロンドンへ行くという案もあったが、イングランド自体の物価が異常に高いということもありライヴ直前までの1週間ほどをベルリン滞在で過ごすことになった。ただただ日数を潰す為だけの贅沢な1週間。本当はオキさんとしては、この間にも何本かのライヴを入れるべく画策したようだが、うまく行かず、ベルリン観光の日々のスタート。
ベルリンでは滞在中の費用を考え、宿泊はベルリンの中心部から車で15分程の住宅地にあるアパートを短期レンタルということに。
アパート到着.jpg
しかし郊外に出ると大してしゃべれるわけではないが全く英語が通じません。そしてレストランのメニューも全く読めない。
オキさんはニューヨークに長期住んでいたし、沼澤さんもロスが長かったので英語なら大丈夫なんですが、宿泊先のそばのレストラン、(と思っていたもの)に入ってみたものの、メニューは全てドイツ語、店のおばちゃんもドイツ語のみ、そのおばちゃんが店のお客に向かって「誰か英語話せる人いない?(これも多分、憶測ですが)」と聞く始末。ようやく現れた「俺は話せるよ」というおっさんも実は日本で言うところの中学一年生レベルで、お互い30%の意思疎通が出来たかどうか、って感じ。
観光地でもない郊外ではあたりまえのことなんだけど、こちらの考え甘いっす。簡単なドイツ単語とか覚えて来い、あるいは和独辞典・英独辞典をもってこいって話。
結局、数種の野菜の名前と調理法が判明したので、ソーセージと各自野菜スープ的なものを頼んだが、大して美味くない。ってかレストラン的でない、レトルトでしょ、これ、って感じ。それもそのはず、店を出て看板に書かれた文字に「スポーツバー」というのを発見。これだけ読めたが、これだけ読めれば充分でした。昼間のスポーツバーに食事を求めて入ったのが間違い。
これだけで、ヘタレな我々はその後自炊の道へ。
自炊です.jpg
結果的には自炊が安上がりだし、食材さえ手に入れば自分達の食べたいものが食べられるので良かった。食材はスーパーで品を見ればほぼわかるし。

滞在が始まって、しばらくすると、ベルリン探検へ出かけるようになり、あちらこちら観光した。
まずは全員でアレクサンダープラッツという中心部の駅へ行き有名なテレビ塔、ベルリン大聖堂、ペルガモン博物館といった定番観光地
へ。
新旧.jpgベルリン大聖堂.jpgペルガモン1.jpgペルガモン2.jpg
また別の日にはベルリンに来たからにはベルリンフィルを味わってみようじゃないの、ということで、雨の中ベルリンフィルへ。
ベルリンフィル.jpg
しかし、ベルリンフィルは思いっきり夏休み中でした。張り紙には「ゲスチョロッセン」=「閉館・休館」と書いてあり、覚えなくてもよい単語を一つ覚えた。
ベルリンフィル夏休み.jpg
仕方が無いので、隣にある楽器博物館へ。
ヨーロッパで発展した楽器達の歴史、異端の楽器等、大変興味深い。
楽器博物館2.jpgベースの原型.jpg変な管楽器.jpg楽器博物館1.jpgシンセサイザーの原型.jpg

その後日にちが経つと各自アパートでくつろいだり勝手に観光したりを開始。
観光中.jpg
建物のデザインとか大変興味深い。
デザイン大国ドイツ.jpgデザインの国1.jpg
そして思い立って出かけた先、まずはルネッサンス様式のベルリン大聖堂、最初に来た時は内部に入らなかったが、入ってみた。
ベルリン大聖堂内部.jpg
内部も外観通りの巨大さですごい装飾。さすがドイツ。何がさすがか良くわからないが、ドイツは何もかも巨大な印象だ。でも広い土地に適度な密度で巨大なものが建っているので、東京のような圧迫感が無い。そらも広い。大聖堂内部は当然厳かな雰囲気でして、入る際には係員に帽子は脱ぎなさいと言われた、がこちらには勿論通じないのでゼスチャーされた。地下にはホーエンツォレルン王家の納骨堂があり、棺が沢山並んでいた。更に上へ上へと登っていけるようになっており、天井ドームのところまで登ったりした。外を眺めるとベルリンの街並みが。ベルリンというのは激動の都市であるが、古いものと新しい物をうまく混在させ、歴史の中で更なる発展をしようとしているのが良く現れている街だという感想。
大聖堂の上から.jpg
また別の日には戦争の傷跡を残し美しい青のステンドグラスで有名なカイザーウィルヘルム教会へ。
これは動物園駅のすぐそば。かなり交通事情を把握してきたので、言葉や文字はあまりわからねど、交通切符(電車、トラム、バス等、全部共通で金額、エリア別に何種かある)を買って都市の探検。
ドイツ交通チケット.jpgトラム.jpg
カイザーウィルヘルム教会は第二次世界大戦の傷跡をそのまま残した教会だが、そのままの姿で開発され発展している繁華街に建つ。
カイザーウィルヘルム外観.jpg
内部は暗さの中にほぼ全面の深い青のステンドグラス、そして抽象化されたイエス像があり、とても奇妙で静粛な空気が漂っていた。
カイザーウィルヘルム教会.jpg

その後、ベルリン動物園へ。
ベルリン動物園前1.jpg
最近生まれたシロクマの子供「クヌート」が有名なので、観に行くことに。
動物園自体は歴史もあり、古く落ち着いた雰囲気であり、のどか。目指すクヌートはどこなのか?案内板とかにはあまりちゃんと記されていないので、結構歩き回った。やがて、異様に人だかりがしている一角を発見。これはクヌートに違いない、と寄って行って見ると。
クヌート1.jpg
「グウォー」とか「ガァーッ」とか迫力の獣声が。なんとこれが、小熊クヌートの声でして、姿とはかなり裏腹。このクヌート、必ず観ることが出来るものでは無いようで、気分で外に出てきたり、出てこなかったり。観に行った時にはちょうど外に出てきていたが、しばらくすると引っ込み、その後は全く姿を見せなかった。ラッキー。
クヌート2.jpg
動物園で観光終了しても良かったのだが、割と歩いていける範囲にジーゲスゾイレという戦勝記念塔、映画「ベルリン天使の詩」で有名なものがあるので、これを見に行く。のんびり30分程動物園から歩き、公園の脇を通り到着。生で見ると感慨深い。
戦勝記念塔.jpg
閉館時間ギリギリだったが、中に入って内部に登れるそうなので、トライ。
すんげ~大変でした。高さ67mあるそうなんだが、これを内部にひたすら渦巻く螺旋階段を登って行く。
戦勝記念塔内部.jpg
てっぺんに到着すると黄金色の像は間近。
戦勝記念塔アップ1.jpg
360度のパノラマにてベルリンの街が一望。放射状の道路と緑、建物が実に実直に「ドイツ!」って感じ。なんのこっちゃ。
戦勝記念塔からの眺め.jpg
そんな日々で、さあ明日はロンドンへ、という前の日、せっかくなので、また全員で観光。
蚤の市を見て、ベルリンの壁が残されているところを見て、ユダヤ人犠牲者追悼のモニュメントを見て、後は街をひたすら歩いた。
蚤の市.jpgベルリンの壁.jpgユダヤ人追悼モニュメント.jpg
残酷な歴史も歩んできた大都市ベルリンだけれども、今現在、よそ者である自分からは、楽しく力強く成長していこうとする都市に見える。これから先の世の中とどう歩んでいくのか大変興味深い。

日が暮れだしてから、皆でベルリン最後の夕食。いっそハンバーガーを食おうと、オープンテラスのレストランで。
ここはベルリンの繁華街であるからして、観光客も多く、メニューにもちゃんと英語表記があった。失敗することなく巨大なハンバーガーの夕食、堪能しました。
ハンバーガー.jpg

異様に長くなってきたので今回はココまで。次回はロンドン編へ行きたいと思っとります。
最後の写真は住み慣れたアパートを発つ前のメンバー。
アパート前で.jpg

投稿者 nakajo : 2007年10月17日 03:09