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2001年12月 5日

第3回『続・私とベース』

さて、エレクトリックのみならず楽器の聖地である御茶ノ水。 当時のワタクシの住んでいた町からは通称「湘南電車」と呼ばれるJR東海道線に揺られることおよそ1時間と30分程であります。当然、我町のそばにも楽器店はあることはあったのですが、専門店と呼ぶには悲しい、レコード店の一角に設けられた僅かなスペース、あるいは、○○楽器店とは言ってもヴァイオリンから三味線までといったものを6畳ほどの店内に抱える埃っぽくうら寂しい店がせいぜいの状態でありまして、音楽雑誌等で目にする、フェンダーあるいはギブソンといった外国産の物はショウウインドウ内に1、2本が見うけられる程度でした。 彼らはガラスの向こう側から覗くハナタレ坊主を「おまえら10年早いワ」という気持ちで笑っていたのでしょうなぁ。

そうです。確かに当時の中高生からしてみると値札の一桁違います。 ハナタレ坊主は額と鼻の頭の油をイヤというほどショウウインドウになすりつけながら「いつかはこの手に...」と心に固く誓いつつ、現実問題として「となると国産コピーモデルで安くて良いのはどれなのだろうか?」と手の触れられるエリアに並ぶ、姿形がガラスケースの中の物とはさして変わらない楽器群を見渡して考えるのでした。

当時、国産エレキの最大手は個人的な感想で言えばグレコ、所謂アイバニーズでして、その他にはフェルナンデス、アリア、ヤマハ、トーカイ等があり、メーカーの主流が現在よりも明らかにコピーモデルにあったように思われます(ヤマハ辺りは自社モデルに力を入れていたような気がします)。 今の様な工房的なメーカーもあまり無く、何よりアメリカの2ブランド(フェンダー、ギブソン)に人気が集中していたのが理由でしょうが...。

そして、ワタクシもやはりこの2ブランドに当然あこがれたわけで、オリジナルが買えないとなれば、コピーモデルに走るわけです。 毎日カタログと睨めっこです。 ザ・バンドのリック・ダンコに惹かれたのは確かでしたが、ギブソンのリッパーやグラバーは当時のワタクシ的にはイケて無いルックスでした。 更に音楽志向が加速度的に進行して行った為、ジャック・ブルースの愛器SGベース(EB3)に興味深々。 また暫くして音楽的に進行、いや後退というべきかソウル、ブルース系に足を伸ばし出した為、今度はジャズ・ベースへ...。 しかも、背伸びしたい年頃のワタクシには「ジャズ・ベースって大人じゃん」なんて、よく分からん理由も加わっとります。 結局、御茶ノ水へ向かう頃には、すっかりジャズ・ベース好きになっている始末。

しかし、この当時、音とルックスとどっちに重点があったかというと、かなりルックスであったような気もします。 お茶の水に降り立ったワタクシは、なじみの無い東京に舞い上がりつつも目指す楽器店に突入、大量の外国産ブランドに驚きつつ、妙な緊張をしながら国産ジャズ・ベースの居並ぶ棚を眺めながら悩むことしきり...。やがて一本のフェルナンデス産ナチュラルカラーの物が目に止まり、「これ買います」と試奏もせずに決定。 試奏なんて出来るほど肝は据わってませんでしたが、店員さんの親切な「一応、音出してみては」の一言で、赤面しながら適当なフレーズなんか弾いてみました。 すると思ってた以上に良い音だったのです。 やたら感激したワタクシは財布から万札を取り出し、浮かれていると、店員さんが初心者であるワタクシに「アンプは持ってるの?」と聞いてくるではありませんか。 そうです、アンプも買わなきゃいけなかった...。 そこで「安いアンプ、見繕ってください」とお兄さんにお願いし、グヤトーンの小型アンプもゲット。 しめて8万円弱也。 サービスで付いてきたシールド等と共に買いこんだ品物は結構な大荷物になりましたが、そんなことが気にならないほど嬉しい御茶ノ水行となりました。

さて、その後、勉強もせずに音楽三昧の毎日になったのは当然なのですが、何故か大学受験に合格。 うちの親もそれを喜んでくれ、今度は入学祝いになんか買ってやるというのを利用して、2台目のベースを買うことになりました。中條の音楽志向は更に後退しており、目指すはスタックスのセッションマンのダック・ダン。 そんなワタクシが次に選んだのはテレキャスタータイプのベース、すなわちプレシジョン・ベースの初代です。 と、考えたところで、当時このテレキャス・ベースというものを出しているメーカーが国産では無いことに気付きました(まだ本物を買える状態では無いのです)。 しかし、手段があったのです。 ESPというメーカーがやっていたオーダーシステムで予算内でテレキャス・ベースが買えることが判明。 勿論、購入。 10万円也。 これも当時のワタクシ的にとても満足行くものでした。

暫くこれらベースで満足していたのですが、人の欲とは怖い物です。 大学校を出る頃には、またしても新しい物が欲しくなってきました。 これには多分にワタクシが通っていた大学校があった場所というのが関係してくるのですが... なんとそこは聖地・御茶ノ水だったのです。 毎日、楽器店の前を通るのです。 食指が動かないわけがありません。 その頃になると、楽器に対する自分らしさ、なんてぇもんが出てきていますので、「人がもってないのがイイ」といった生意気な状態になってます(テレキャス・ベースで既にそうですが)。 更に、ローンなるものが出来るようになってますので、思いきった暴挙にでたのです。ワーウィックのサム・ベースを買ってしまいました...。 アクティヴ・ベースは初めてだったので、その音にかなり驚き、重宝しましたが、後にこれは電気的なトラブルに疲弊したので、人に譲ることになりました。

大学校を無事出た中條でしたが、音楽で食いたい志向が強い為、就職もせずバイト生活。 またしても楽器買いに走ります。 この頃は、フレットレス・ベースが大層欲しかったので、そっち方面に興味津々。 よってワーウィックを売ったお金足すローンで今度はウォルのフレットレスを買ってしまいました。何やってんでしょう...。しかし、この楽器はかなりしっくりきたというか、思い描いた通りの音が出せるので、現在も無くてはならない物になってます。実際、相当無理して何でもかんでもこのフレットレスでこなしていました。

その後、「オレはフレットレスで全部やっちゃる」という無茶な論理が利かなくなったので、シンプルにイイ音のフレットありベースも買おうという事になるのですが、この時は既に仕事として音楽が出来るようになっており、何の躊躇も無くベースを購入する動機付けが出来るようになってました。 ここへ来てやっとオリジナルのフェンダーに到着。しかし、ジャズ・ベースよりボコボコ・ガシガシした音が欲しかったのでプレシジョンを買うことになりました。

さて、昔からちょっと偏屈なワタクシはこの後にも「これこそがワシの楽器じゃ」とアレンビックの中古をヒジョーに安い値段でゲットしたりするのですが、この偏屈、それでも昔ながらのものが大好きなワタクシを大層刺激してくれるのがXoticのベースだったりするのです。 PCIさんの扱う物はその辺りのツボをかなり心得た上にとてもオーソドックスな所を押さえていたりするので、これからも大いに期待。

こうしてみると、注ぎ込んだ金額はかなりの物になっているようですが、きっとこれはただの無駄遣いにはならないのだと信じてここまでやってきています。
以上、ワタクシと楽器の続編でありました。お粗末。

投稿者 admin : 2001年12月 5日 08:30