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トシ・ヤナギ インタビュー


ベイクドポテトにて、左から、Keyboardのリョー・オクモト(もともとクリエイションにいたそうです。)、Vocalのボビー・キンボール(TOTO)、Drumのジョール・テイラー(アランホールズワース)。 Toshiさん、Bassのアルマンド・サバルレコ(ポール・サイモン、ブレッカー・ブラザーズ)

デビッド・ガーフィールドなどLAのトップアーティストと毎週の様に共演し、ライブハウスやテレビ出演などLAで大活躍中のギタリスト、トシ・ヤナギさんにお話をお伺いしました。 本日自宅をお邪魔した時には、丁度グレッグ・フィリンガン(Greg Phillinganesキーボード奏者:マイケルジャクソンのスリラー、クインシー・ジョーンズなどとテレビでも活躍中の超大物)が訊ねてみえていて、親しい友人とのことでした。予期せぬ大物と出会い、トシさんの人脈の広さを垣間見たような気がしました。

PCI:もうアメリカに来られて何年になるのでしょうか?
とし:85年に来ましたから、15年ですね。 

PCI:いつ頃から音楽を始められて、どういうきっかけでロスに来られたんですか?
とし:親父がオペラ歌手でお袋がピアノの先生だったんです。小さいうちから声楽とピアノを習ってたんですけど、ピアノが嫌で嫌でしょうがなくて、なんとか逃れられないかと思って、お袋に、「バイオリンやるよ」と言ったんです。幼稚園の頃でしたね。 ところが、バイオリンをやるための耳の訓練にピアノをやってたら最高ということで、結局バイオリン、ピアノ、声楽と3つやるはめになったんです。(笑) 僕が小学校5年くらいの時に、お袋が勝手にジュニアフィルハーモニーっていうオーケストラに参加希望と応募したんです。 オーディションに受かっちゃってまずはバイオリンでオーケストラに入ったんです。 ギターの方は、中学の3年くらいに初めてギターを買いました。 あっ、でもロックを聴き始めたのは小学校の4年くらいからですけどね。 ラジオでFENを聞いてたんです。でも誰が誰だか判らなかったんですけど。 それでギターって面白いなぁ〜と思って、中3のとき友達とバンド始めたんです。

PCI:最初はどういうのを演ってたんですか?
とし:最初からバン・ヘイレンとかマイケル・シェンカー・グループとかのコピーをして、それで高校はずっとギター三昧でした。 その頃にオーケストラはやめたんですけど。

PCI:それじゃ、オーケストラにいたのは中学までですか?
とし:中3までです。

PCI:バイオリンとギターは同じ弦楽器だから覚えるのは楽だったんですか?
とし:たぶん早かったと思いますよ。感覚が少し違いますけど。

PCI:その頃は住んでみえた場所は東京だったんですか?
とし:いえ、家は川崎です、学校は小中高、吉祥寺だったんですけど。
 
PCI: アメリカに来るきっかけは?
とし: こっちに来るきっかけっていうのはですね。高校を卒業して、大学に行かなきゃいけないじゃないですか。親はやっぱり音楽大学に行ってほしかったみたいだったんで、そこに行くための特訓みたいなのをしてたんですね。ギターの大学はなかったんで、声楽とピアノの特訓をしてました。気の入らない練習をやってたんでしょうね。だから親が、「おまえは何をやりたいんだ?」って。 そして「ギター弾きたい」っていう話をしたら「だったらアメリカにでも行ってくれば?」って言う話になってしまったんです。で、とりあえず英語をしゃべらないといけない。 その時は勉強なんてろくにやってなかったんで、困ってた時に、ちょうど僕の友達で前にサンフランシスコにいた人がサンフランシスコの英語学校を紹介してくれたので、まず最初そこに行ったんですよ。とりあえずギターとバッグだけ持って(笑) 

PCI:18歳くらいの時ですか?
とし:19歳くらいの時だったと思います。今思うと、その頃が一番面白かったです。英語しゃべれませんでしたけど。最初はレジデンスクラブっていう安ホテルにいたんです。世界中の旅行者とか地元のおじいちゃんとかおばあちゃんとかが、が住んでいる一日2食付きの、ホテルというかユースホステルみたいな所で、入れ替わり立ち代わり色んな人が来るんです。そこでいろんな友達ができました。相部屋で一カ月480ドル位でした。その頃の友達とは今でも付きあっていますよ。 ある日、そこで友達になったお姉ちゃんとブルースクラブへ行ったんです。そこで、でっかいブルースを弾いてるおっさんが、そのお姉ちゃんにアプローチしてきて、その後「おまえ弾け」って言われて。 言葉なんてその頃全然判んないじゃないですか。だけど、「ブルース」っていう言葉と「キー」っていう言葉が判かったんです。「シー」とか言ってるから、Cのブルースなんだなと。 そこで始めてアメリカで弾くことになったんです。で、このサンフランシスコのノースビーチという町にある、ブルースクラブで時々弾かせてもらうことになったんです。フィッシャーマンズ・ワーフへ15分くらいの所で、チャイナタウンも近くにあり、便利のいいとこでした。

PCI:ロサンゼルスに来るきっかけは?
とし:一年くらいしてから、ハリウッドのMIっていう音楽学校のパンフレットを見て、そこにバンヘイレンが来たって載ってたんで、行こうかなと思ったんです。 自分のデモテープ取って、送ったら「いいよ」ってことになったんです。それで車でサンフランシスコからLAまで降りてきたんです。4000ドルくらいで日本車を買って、運転してきたんですけでど、途中でオーバーヒートしちゃって、まっ黒い煙を吐きながら、何とかLAのダウンタウンにたどりついたんです。 でも、サンフランシスコの友達が紹介してくれた人がロスにいて、たいへん親切にしてくれて助かりました。人に助けられたってことが本当に多かったんです。そして、その後MIという学校に一年くらい行ったんです。

PCI:学校はどこにあったんですか?
とし:その頃、ハリウッドの「ろう人形館」の上にあったんです。チャイニーズシアターのすぐ側です。 

PCI:卒業後はどうされたんですか?
とし:学校に進路指導するアメリカ人がいて、「音楽やりたいんです」って言ったら、「10年かかる」って言われたんですよ。 それで、「いいです」って言ったら、「そうか」で終わりなんです。 別にその人がサポートしてくれる訳じゃないんですよ(笑)とにかく不法滞在にならない様に、学校に在籍したかったんで、そこで講師してvisaをもらってました。そこで沼沢タカシさんと会ったんです。それからヤナイさんっていうベースの人とも会いました。リチャード・エリオットっていうサックスの人と一緒にやって、こっちに住んでる人です。「とし、一緒にやってみる?」って誘われて、しばらくウエストウッドのもう潰れちゃったんですけど、「ボナペティ」っていうレストランで演奏しました。これがアメリカで始めて、お金をもらって演奏した経験となりました。 

PCI:それはいつ頃のことでしたか?
とし:23の頃だと思うので、アメリカに来てから4年くらいしてからですね。 

PCI:それからどんどん仕事が来る様になったんですか?
とし:いや当時仕事っていう仕事はそんなになかったですね。何かやらないとしょうがないと思って、お金もらえなくてもいいから、ちゃんとした所でプレイしてるミュージシャンと知りあいになり、使ってもらう様に頼んでたんです。で、ベースのロブ・マクドナルドっていう人と知りあいになり、彼がフュージョンバンドでギターに空があるっていう仕事を紹介してくれたんです。で、そのバンドでやる様になり、またそこで会った別の人に別の仕事を紹介してもらうっていう様に、少しずつ広がっていったんです。