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Jimmy Earl インタビュー (1/4)


Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

ロベン・フォードやチック・コリアなど多くのミュージシャンに頼りにされるベーシスト、ジミー・アール。 幅広い音楽をカバーするだけでなく、ユニークな彼自身の世界を持つクリエイティブなアーティストでもあります。 変化に富んだベーシストとしての経歴と現在のユニークな活動状況を語って頂きました。(4/23/2002)

ベースを始めたきっかけとボストンでの音楽活動

PCI:まず、いつどこで生まれたかと、ベースを始めたきっかけを教えて頂けますか?

Jimmy:1957年ボストン生まれで、しばらくして家族でニュージャージーに引っ越し、それからミネアポリスに移ったんだ。 その後メリーランド州のHyattsvilleという小さな町へ行き、ワシントンDCの郊外なんだけど、そこでほとんどの子ども時代を過ごしたんだよ。 ベースを始めたのは14才の時。 近所のロックンロールバンドがベースプレイヤーを探してたんでね。 その頃はクラシックギターをやってたんだ。 9才の時からずっとね。

PCI:レッスンもちゃんと受けられてたんですか?

Jimmy:毎週必ずね。 フットストール、譜面台もきちんとセットして、まじめに典型的なレッスンを受けてたよ。(笑) おふくろがギターを習うんならクラシックからと厳しかったんで。 だけどロックンロールのバンドに入るのは魅力があったんで挑戦したんだ。 それでベースが大好きになった訳。  

PCI:まずロックンロールのベースから始めたんですね?

Jimmy:そうだね、ハイスクールに入ってからはオールマンブラザーズをやってたよ。 ベリー・オークリーのベースに魅了されたんで、コピーしまくったよ。 

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:最初に使ったベースは何でしたか? 

Jimmy:フェンダーの72年プレシジョンベースだった。 正確に言うと、その前にフリーマーケットで買った安いおもちゃの様なベースがあったね。 家のペンキ塗りなんかのバイトで金を貯めてフェンダーのベースを買ったんだ。 典型的なその時代の田舎のハイスクールの学生だったね。 テレビやラジオを見てバンドに憧れ、バイトして金貯めて楽器を買うというごく普通の子だったよ。(笑) ハイスクールではギターもよく弾いたね。 ディッキー・ベッツはほとんどコピーしたよ。 そしてハイスクールを卒業してバークリー音楽学院へ行くことにし、最初はギターを専門に勉強するつもりだったんだけど、親父が「いや、ベースにした方がいいんじゃないかい。」って言ったんだ。 そんなに強い調子ではなく、その方が僕に向いているんじゃないかと。 で、結局バークリーではベースと作曲を勉強することにしたんだ。

PCI:結局お父さんのアドバイスを取られたんですね。 ミュージシャンとしては最初の大きな転機だったかもしれませんね。バークリーを卒業後LA に来られたんですか?

Jimmy:いや、バークリー卒業後ボストンに10年いたんだ。卒業後はとにかく金が無く、生活の為にボストンでいくつかの人気ディスコバンドでベースを弾いてたんだ。 毎晩ライヴハウスに出演してたよ。 ベルボトムをはいて、アフロヘアだったんだ。(笑)

PCI:アフロヘアだったんですか? それは是非見たかったですね。(笑) その頃は楽しい時期だったんですね?

Jimmy:そう、毎日エンジョイしてたね。

PCI:その頃の面白いエピソードなどありますか?

Jimmy:その頃は車であちこちのGIGに飛び回ってたんだが、あるときフロリダのGIGの仕事が入ったんでボストンからフロリダまで車で行き、一晩フロリダのホリデーインで演奏したんだ。確か1976年の時だったと思うよ。  その日演奏が終わった途端、「おまえ達は クビだ。」って言われたんだ。 ひどいバンドだからって。(笑) 

PCI:じゃあまたボストンまで車で逆戻りだったんですか?

Jimmy:困ってしまって、仕事を手配したエージェントに電話したんだ。 そしたらエージェントが「OK。フロリダのウエストパームビーチで別のGIGがあるからそっちへ言ってくれ。」って。 で、また移動。 そこでは気に入られて2週間程滞在した。 それからダラスやテキサスへも車に楽器を積んでぎゅうぎゅう詰めでGIGの旅を繰り返してたね。 あとニューヨークやバーモント、ニューハンプシャーなどのGIGによく行ったよ。 そんな生活が6〜7年続いたかな。 

PCI:それでいつロサンゼルスに来たんですか?

Jimmy:その前にボストンでの話がまだあるんだよ。(笑)

PCI:あ、そうですか。 どうぞ続けて下さい。(笑)

Jimmy:僕のある友人がトランペッターのタイガー大越(Tiger Okoshi)との仕事を紹介してくれたんだ。 ディスコバンドでライヴを演ってたけど、ずっとジャズは好きだったんだ。 だからツアーの移動中も待ち時間の間も車の中やビーチやホテルでいつもジャズを聴いて練習してたんだ。 それ以外にもバッハ、そして理論なんかもずっと勉強してたんだよ。 ライヴではその頃ダンス音楽ばかりだったけどね。 そしてTiger's Bakuで一緒に演ることになった。 その頃ボストンでは人気のフュージョンバンドだったんだよ。 タイガー大越(Tiger Okoshi)はグレイトなトランペッターだよ。 彼のバンドで今度はフュージョンでのライヴツアーをしばらくやったんだ。 タイガーのオリジナルのフュージョン音楽は本当に素晴らしいものだった。 かれの音楽は僕の琴線に触れたよ。 カナダのケベック州などへ、バンドメンバー5人でよくツアーに出掛けた。 1台のバンに機材を積んで、バンドメンバー5人がこうして肩を寄せ合って何時間もドライブしたもんだ。(笑) 

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:あなたのグッドオールデイズですね。 

Jimmy:ほんとその通り。 一方その頃ボストンのTavaresというディスコバンドでも引き続き活動していたんだ。 そして、1985年にパット・メセニーとプレイしていたグレイトなドラマー、ボブ・モーゼス(Bob Moses)が僕とタイガーをヨーロッパツアーに誘ってくれたんだ。 そして、しばらくボブとヨーロッパツアーをした後、ニューヨークへ移る事を決めたんだ。