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Dr. Z インタビュー 

(The ToneQuest Report 2000年7月号掲載)
The ToneQuest Report
は、広告を一切掲載しない、プロのミュージシャン、楽器製造技術者のためのアメリカの月刊業界誌。 

「Rock & Rollのホーム、オハイオ州クリーブランドへ飛び、Dr.Zにインタビューした模様を下記の通り報告します。」

「まず、ドクターZとあなたのアンプについて簡単なプロフィールをお願いします。」

我々は10年間アンプを作り続けてきました。その前数年間はリペアの仕事をしていました。

「なぜアンプを作ることに興味を持たれたのですか?ギタープレイヤーだったからですか?」

いえ、実際私はドラマーでした。ただ私が幸運だったのは、父がラジオやテレビのリペアの仕事をしていたことです。私は現在48才で、1950年代はチューブアンプがブームでした。その頃、私の家の地下室は真空管と電気機器で一杯でした。若い頃、私は自分のバンドのために、PAを作り、自分の家は練習場でした。(笑) あの頃を振り返るとおもしろいし、またバンドのギタリストやベーシストには少し申し訳ないと思っています。彼らが帰った後、彼らのアンプに色々小細工をしてしまったから。ただ私のやったことに彼らが気づいていればの話ですが。 

その後、大学へ行き、電気の学位 を取りました。そしてその後14年間、医療診療電気機器の業界にいました。私がアンプの製作を自分の仕事として始めようとした時、ジェネラルエレクトリック(GE)社の医療システム部門に在籍していました。その時私の得意分野は、原子核内科用カメラでした。それらの医療用カメラの探知器の中には、55個の特殊真空管が使用されていました。だから、GE社では私はいつも「アナログ人間」と称されていました。

「ということは、90年代に準備中のスイッチを入れて、転職されたのですね?」

1992年までは、今までの仕事を昼間は続けていました。 1992年は私の人生で色々なことがありました。その一つは、Joe Walshが私の作ったアンプを手に入れて、イーグルスのツアーに持っていったことです。 その時は本当に「やった!」と思い、アンプ製造をフルタイムでやることに決めたのです。

「Joe Walsh はどうやってあなたのアンプを手に入れたのですか?」

彼はクリーブランドに住んでいて、一緒にKent Stateで電気技術を勉強しました。 以前からお互いに知りあいでずっと付きあいを続けてきました。 バンドコンテストでお互いに競い合ったこともあります。彼のバンドが一位 になり、私のバンドが二位でした。 その時のおもしろい話があります。 彼の前のマネージャーと私は仲の良い友達で、その元マネージャーが私に、 Joe Walshが私のアンプを調べたいと言ってきたのです。 そこである晩、彼と会い、Joe は私のアンプを自分の泊まっていたホテルに持って帰り、一晩のうちに全て分解してばらばらにしてしまったそうです。 それから1年半ほど音沙汰無く、その後突然電話があり、もう1台アンプとスピーカーキャビネットを作ってほしいと依頼がありました。イーグルスのツアーに持っていくとのことでした。

「これはあなたにとって大変重要な事件だったのですね?」

そうです。 実際私は医療電気機器業界の裕福な立場にあり、家族の援助もあり恵まれた環境に居ました。でも色々なことが変化していたのです。 私は長髪でイアリングをし、したいことをしてきました。 家族は私のやりたい様にやらせてくれました。 ところが突然 GE社で、組織の中で働かなければならないことが余儀なくされました。 今こそ転身する良い機会と思ったのです。