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Blue Johnsonインタビュー (1/3)

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2002 Hiroshi Mochizuki)

32年もの間、音楽業界で多くの有名アーティストのマネージャーをやり業界を知り尽くした男、ブルー・ジョンソン(Blue Johnson)。ミュージシャンでもあり、いつも本物のアーティスト、音楽を追い求めるブルー・ジョンソン。ロサンゼルスのプロミュージシャンで彼のことを知らない人はいません。いつもとは異なる視点でアーティストについて、音楽業界について話を聞くことができました。また、人種や宗教や国や言葉の違いに捕らわれずに音楽を見つめ直すことができました。 
Blue Johnsonのサイトはこちらを参照下さい。
http://home.earthlink.net/~bangkokblue/
(7/15/2002)

「Seawindとの出会い」

PCI:30年以上に渡って多くの有名アーティストのマネージメントをされ、業界ではあなたの名前を知らない人はいないそうですね。 またミュージシャンとしても地道にユニークな活動を続けてみえます。  まずはあなたのプロフィールから教えて下さい。 

Blue:私の名前はBlue Johnsonで、ミュージシャンとしての名前はBangkok Blueです。 これは私のマネージメント会社の名前でもあります。 1968年にここロサンゼルスでナイトクラブのバンド活動を始めました。 これが私の音楽業界との係わりのきっかけです。 その頃はTop 40、フュージョン、ジャズをロサンゼルスのほとんどのトップクラブで演奏してました。 

PCI:楽器は何を演奏されたんですか?

Blue:ベースとバイブです。 それから時々キーボードもやってました。 バンド名はExpress Way。 随分昔の事です。(笑)  5年程そんな活動を続けました。 私としてはオリジナルソングをやり、自分たちのレコードを出したかったんですが、バンドメンバーはクラブでライブをやるだけで十分な様で実現しませんでした。 お金は儲かったし、新しい車に乗り毎日が楽しかったんで、彼等にはオリジナルレコードを作ることの重要性に気が付かなかったんでしょう。 ナイトクラブの演奏に明け暮れる毎日が嫌になったんです。 毎晩5セットを夜中の2時まで演奏する毎日でした。 それで結局そのクラブバンドを辞める事にしました。 

PCI:それで新しいバンドを作ったんですか?

Blue:ハワイへ行くことにしたんですよ。 私の友達にDonald Bennettというベーシストが居たんです。 残念ながら彼は去年亡くなったんですけど。 彼のバンドがその頃ホノルルではナンバーワンヒットレコードを出していたんです。 彼は私と同じくロサンゼルス郊外のパサデナ出身で、こちらに戻りたがっていました。 丁度タイミング良かったんで、私がホノルルへ行き、彼がこちらへ帰って私のクラブバンドを引き継ぐ事になったんです。 私もバンドを辞める事で他のメンバーに迷惑をかけずにすんだので踏ん切りがつきました。 

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2002 Hiroshi Mochizuki)

PCI:それでハワイへ移られたんですね。 それは何年の事ですか?

Blue:1974年でした。 ハワイには全く知人は居ませんでした。 でも何か強い意志の力でハワイへ行かなければならないと感じました。 ベースもバイブもアンプも全ての機材を一緒に飛行機で一路ホノルルに飛んだんです。 ホノルルへ着陸する時、窓から一人の知り合いも居ない見知らぬ土地を見て、「私は何をやっているんだろう?」とつぶやいたのを今でも覚えています。(笑)  

PCI:まったくコネクションもなかったハワイでどのように活動を開始したんですか?

Blue:ホノルルに着いて3週間ほど経ったある日、OX というバンドに会ったんです。 後のSeawindです。 ご存知ですか?

PCI:シーウィンド(Seawind)ですか? 70年代に一世を風靡したハワイ出身のAOR的なフュージョン・ロックバンドですよね。 ロサンゼルスのBaked Potato にも連日出演して一時は凄い人気だったそうですね。 今でもシーウィンドのポスターはBaked Potato に貼ってありますよ。 日本でも1978年から80年にかけて大変人気がありました。 ポーリン・ウィルソン(Pauline Wilson)のツヤのあるヴォーカルとあの素晴らしいホーンセクションのアレンジは今でも鮮明に覚えています。 Jerry Hey, Larry Williams, Bud Nuanezなど実力派メンバーも揃っていました。 大ファンでした。

Blue:そうですか。 私はずっとシーウィンドのマネージメントをやってたんですよ。 まだ彼等がOXという名前のバンドの時に会ったんです。 その頃彼等はホノルルのクラブバンドだったんです。 ホノルルへ着いて最初は色々なクラブを回ったんですけど、まともなバンドが全くいなかったんです。 ある土曜日の晩、とあるクラブでOX を見て驚きました。 ハービー・ハンコックの曲を演ってましたが、このバンドは凄いと直感しました。 その晩、ポーリン・ウィルソン(Pauline Wilson)とバド・ニュアネス(Bud Nuanez)に会いすっかり意気投合しました。 バドは偶然私の家の近所だったこともあり、それから彼等との長い親しい付きあいが始まったんです。 その頃、彼等は毎晩素晴らしい演奏をして、オリジナルソングもいい曲をたくさん持っていたのにホノルルの小さなクラブではあまり人が入っていなかったんです。 そこで「ロサンゼルスへ行ってこの素晴らしい音楽と演奏をもっと多くの人達に聴いてもらおう。」って心からそう思ったので提案したんです。 最初は彼等はそんなこと無理だよと笑ってました。 ホノルルで楽しく音楽と共に細々と生活できればいいと思っていた様です。 その後説得を重ね、音楽的にも色々アドバイスして、3年後に皆でロサンゼルスへ乗り込んだんです。 Seawind と名前を変え、CTI レコードと契約したんです。 そして Baked Potato にも出演しました。 ハービー・メイソンがホノルルで彼等の演奏を聴いて驚き感動したんです。 彼が自らプロデュースとレーベルの売り込みを買って出てくれたんですよ。

PCI:それは何年のことでしたか?

Blue:1976年でした。 それ以来Seawindのマネージメントとロードマネージャーをずっとやりました。 ボズ・スキャッグスがSilk Degrees を出した頃、ツアーはずっと一緒に回り前座を演りました。その後ジョージ・ベンソンのツアーも一緒に回り、常に前座を演りました。 これでSeawindの素晴らしさが多くの方々に分かって頂ける様になりブレークしました。 後の活躍はご存知の通りです。

PCI:アーティスト・マネージメントの仕事としてはシーウィンドの仕事が最初だったんですね? 

Blue:そうです。 実はこの夏にもポーリン・ウィルソン、ラリー・ウィリアムスと一緒に日本ツアーへ行くんですよ。 今でも彼等のマネージメントを続けています。

PCI:本当に長いおつきあいなんですね。 

Blue:Seawindで新しいアルバムをこれから出す計画があるんです。 いまだに世界中に多くのファンがいるんですよ。

PCI:それは楽しみです。 素晴らしいバンドでしたから喜ぶファンも多いでしょう。

Blue:彼等の音楽はあの当時まだ早すぎたのかもしれません。こちらのSeawindのサイトで今後新しい情報を流していきますのでお楽しみに。 http://www.seawindjazz.com

PCI:当時のエピソードで印象的なものあれば教えて下さい。

Blue: Seawindには、当時は多くのアーティストから協力の要請があり、特にホーンセクションのメンバーは他のアーティストと数々のセッションをこなしていました。 マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、チャカ・カーン、ルーファスなど。 Seawindのメンバー達は当時のたくさんのヒットレコードに参加しているんですよ。 彼等のメインの仕事が自分達のバンド活動ではなく、他のアーティストとのセッションに移っていったんです。

PCI:シーウィンドの各メンバーの実力と感性がその当時それだけ凄かったということでしょうか?

Blue:そう、マネージャーとしても彼等の価値を高く認めてくれる著名アーティストからの仕事の依頼は断りにくかったんです。 いつのまにか他のアーティストとの仕事の方が忙しくなっていました。 おもしろい話があります。 ある晩 Seawind のコンサートがあり超満員で大盛況のうちに終わりました。 あるお客さんが興奮して私にこう訊ねたんです。 「あなたは Seawindのマネージャーですね? 彼等の演奏は本当に素晴らしく泣けてきました。 ただちょっと気になったのはホーンの音がEarth Wind & Fire にそっくりだったことです。」 丁重にその方に答えました。 「お持ちの Earth Wind & Fire のレコードに書いてあるメンバーの名前を見て下さい。 今日あなたが見たメンバーの名前があるはずです。」って。(笑)

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2002 Hiroshi Mochizuki)

PCI:考えてみればシーウィンドのサウンドは当時のヒットミュージックに大きな影響を与えたんですね?

Blue:そうです。 だから彼等に当時何度も言ったんです。 「君たちの実力、感性とクリエイティビティーが数々の他のミュージシャンのレコードをミリオンセラーにしたのかもしれない。 皆でSeawindの活動に集中すればSeawindは凄いバンドになるはずだ。 でも君たちがその感性とクリエイティビティーを他のミュージシャンに切り売りすればするほど、Seawindのユニークさ、新鮮さが相対的にどんどん無くなって行くんだよ。」って。 

PCI:なるほど。 でも 一方でSeawindの音楽はその当時の音楽シーンに多大な貢献をしたことになりますね。

Blue:そう思います。 それで結局Seawind は解散してしまったんです。 私の収入も一気にゼロになりました。 その頃です。 ハービー・メイソンが心配して電話をしてくれたんです。 「今度 NAMM Show でライブを やるんでそのマネージをしてくれないか。」って。 私に気分転換をさせようとしてくれたんです。 本当にナイスガイです。 彼とは一生の友達です。 その頃の私はとにかく気を紛らわす必要がありました。 私の家には世界中から毎日の様に電話がありました。 泣きながらSeawindの解散を止めてほしいという懇願の電話も多くありました。 一人一人に事情を説明する毎日で気分は随分滅入っていました。