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2007年09月22日

第37回:随想(2007年9月22日)

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***前回のワールド・ベースボール・クラッシックで
アメリカ人審判による日本チームへの極めて不審な判定があったことは記憶に新しい。
そして最近は年間首位打者に迫る勢いのイチロー選手への見え見え作為的ミスジャッジが相次ぐ。
それらに対し退場を一切臆せず猛烈に抗議するイチロー選手の態度には強く共感するものがある。
誤解を恐れずはっきりと明言させてもらうが、俺達日本人は舐められている。
そしてその最も大きな原因は俺達日本人自身にあると思う。
同じ日本人を見下し、アメリカ人の前では無意味にヘラヘラ媚びへつらう日本人、
アメリカ人の前になると何故か無条件にパンツのゴムが緩くなる日本人。
舐められたらムキになればいい。
イチロー選手のように後先かまわず言いたいことを言ってしまえばいいんだ。
その時は退場になるかもしれない。
でもそれを繰り返すうちに相手は必ず俺達を、少なくとも舐めなくなる。
相手がどんなに自分を嫌悪しようが知ったこっちゃない、
リスペクトさえされれば何も要らないのだ。
何もアメリカ人やプロ野球に限ったことではない。
例えば、水泳だって、かつては日本人選手が金メダルを取る度に、
必ずと言っていいほど日本人スイマーに不利になるような方向にルールが改正された。
本当に腹が立つ...頑張れイチロー、頑張れ浜口京子、頑張れ鈴木、井上、
もっとムキになって、怒って、徹底的に嫌われちまえ!嫌われるってすっげー快感だぞ!
そして最後に「わかったか、この負け犬の大嘘つき。」と正面切って言ってやればいい。

***ある雑誌の読者相談のコーナーに、
金融会社に勤務する55歳の男性からこんな相談が寄せられていた...
「会社に30年間真面目に勤めてきて、
1~2年は蓄えだけで生活する余裕もあるし、ここで思い切って会社を退職し、
長年趣味で描き続けてきた絵で念願のプロ画家デビューをしたいと思っているがどうだろうか?」...
そして回答者である小説家のKK氏が、これにこう答えていた、
「『ずっと小説を書いていた』という、
会社を定年退職するぐらいの年齢の
アマチュア作家の作品を読む機会がある。
そこそこうまいが、何かがたりない。
ちゃんとした企業に勤め空いた時間に絵を描いてきた者の絵と、
20代から一人きりで食うや食わずの生活をしながら
それだけをやってきた本当のプロの絵と二つを比べたら、歴然と違うものがある。
ものを創り出すことを職業とする者は、
安定を選ばずに自分の人生を棒に振る覚悟で『破滅』の淵を通り抜けた人間だ。
蓄えなんかで絵を描いてるようじゃダメだ。
街に出て人の似顔絵を描こうが、看板を描こうが、
とにかく絵を描くことでカネを稼ぐという『気概』を持つことだ。
すべて放り出して描き続ければ、
30年後にはやっと食っていけるようにはなるだろう。
人が20代の頃からやっていることを55歳から始めるのだから、オマエがプロ画家になるのは85歳だ。」

...KKという作家の小説を読んだことはないし、一体どんな人物なのかも全くわからない。
でもこのKK氏の回答の中にある、
「自分の人生を棒に振る覚悟を持ち、とにかく絵を描くことでカネを稼ぐという気概を持つ。」という言葉に
改めて背筋の真ん中に強烈な「喝」を頂いた気持ちになり、強く励まされた。
アメリカ国内各地を演奏旅行していると、
どこの都市に行っても必ず一つや二つ「ブルース・ソサイェティー」と呼ばれる
ブルース愛好家達のグループが存在し、
彼等の地元で催されるフェスティヴァルやコンサートにボランティアとして協力したり、
世界各地から演奏の為に集まってくるミュージシャン達をいろいろな面からサポートしたりしてくれる。
同時にそこには必ずと言うか、必然的というか、
地元の愛好家達によるアマチュア・ブルース・バンドが存在し、
なんとかしてプロの前座で演奏しようと、
またコンサート終了後に自らセットアップしたジャム・セッションで自らをホスト役に置き、
招待したプロ達となんとかして同じステージで肩を並べ演奏しようと、
虎視眈々とチャンスをうかがっている。
音楽をすることへの喜びを全身で表する彼等は間違いなく輝いているし、
中には演奏面でもプロにひけをとらないようなレベルの高いミュージシャンもいる。
しかし彼等の演奏には、プロの演奏に必ずあるような、一度耳にしたらべっとりとこびりついて、
そう簡単には拭い去れず、思わず聴き直したくなるような「アク」、「しぶとさ」のようなものが無い。
「現実」という絶対的な存在に背中を押され、プロという「夢」を楽器と共に押入れの一番奥に封印し、
音楽とは全く無縁の職業によって自分自身はおろか家族全員を養うに十分以上の安定を得た
20年、30年後の現在において、今さら押入れのギターケースを開け「夢」を追いかけ直そうとしても、
こんなしぶとい音を生み出せるような演奏をすることは到底不可能なのではないだろうか。
音楽で食えなければ野たれ死ぬだけ、「金の為だけに」でも音楽だったらやれる、
そんなKK氏の言うところの「気概」を持ちながら生き抜いてこそ、
聴くものの心からそう簡単には消え去らない「アク」を演奏に乗せられるようになるのだと思う。
なにも音楽に限ったことではない。一つの仕事を生きる糧にしようとするなら、つまりプロになるなら、
よっぽどの覚悟、「気概」が要るはずなのだ。

何年か前、
NYの東に位置するロングアイランドという地域でスタートした、あるバンド・プロジェクトに誘われた。
ドラムス、パーカッション、ベース、ギターが二人、キーボード、リード・
ヴォーカル、そしてコーラス3人という大所帯で、
じっくりと時間をかけた曲作りとリハーサル、コーラス選びのための100人以上のオーディション、
大きなスペースを借り切って製作したライヴ録音のデモCD、
メンバー全員の努力の甲斐もあって、ワーナー・ブラザーズ他数社のメージャー・レーベルの目に留まり、
いよいよショー・ケース(レコード会社やブッキング・エージェンシーの前で実際に演奏を披露すること)の
日程を調節...という段になって、なんとコーラスの三人のうちの二人が「辞める。」と言い出した。
あるリハーサルの後に交わされたちょっとした会話の中での、ツアーの話題が理由だった。
レコード会社と契約すれば、レコーディングの後、当然ツアーが始まり、
アメリカやヨーロッパを周ることになる、そうなれば勿論NYを一ヶ月、二ヶ月離れるわけで、
いずれはツアーバスや機材トレーラーの手配もしなければ云々...。
この話を聞いた二人が、「一ヶ月も二ヶ月も家を空けられない。
こんなに現実になるとは思わなかった。大体最初からもっと気楽に歌いたかっただけだ。」と言うのだ。
バンドリーダーの説得も及ばず二人は脱退し、全ては振り出しに戻り、
残されたメンバー達は疲れきってしまい、結局プロジェクトは間もなく空中分解してしまった。
日を追う毎に次々に飛び込んでくる新しい人脈や情報が
プロ・デビューという言葉の輪郭をより鮮明に映し出し、
プロジェクトそのものの体温がどんどんヒートアップしてゆくのがはっきりと感じられるようになり、
いままでは単に学校の音楽サークルの延長程度で
楽しく歌っているだけのミュージシャン・ライフの行く手に、
一度開けたらそう簡単には後戻り出来ないプロという世界へのドアが突然現れ、
片手をドアノブにいつの間にかかけていた自分に気づき、はっと我に返る。よくある話だ。
俺はそうやって周りの困惑も顧ず去ってゆく彼等を否定する気にはならない。
最後に頼れるのは結局は自分自身しかいないのだから、自分の決断を信じて次に駒を進めれば良い。
そして去られた方は、やはり、自分を信じて、今までどおり、突き進むしかないのだ。

***「音楽をいつも金で換算するんですねぇ...」と俺を軽蔑する、
いつまでたってもプロになれない
自称プロ志望のミュージシャンにNYで何人も出会ってきた。
最初は随分答えに窮したけど、
今はためらわずに「そう、俺は金のためにしか音楽はしないよ。」と答える。
「プロ・ミュージシャン」になることを、単なる言葉の上の「夢」ではなく「現実」として実感したいのなら、
一度でいいから音楽の演奏だけで一月の生計を立ててみようと本気で動いてみると良い。
まず仕事内容のえり好みなどしている場合ではないことに即気付くはずだ。
それよりずっと以前に、自分をプロのミュージシャンとして雇ってくれる場さえ
簡単には見つけられないことを痛感するだろう。
「今の自分に足りないことは何だろう?自分とプロのミュージシャンとの違いは何だろう?」と自問し、
そこで初めて夢が一歩現実味を帯びてくる。
「自分よりヘタクソな奴がステージの上で演奏し金をもらってる。」と腹の立つのはそれこそ毎晩だ。
でも何かが足りないから、ステージの下でこうやって腹を立ててる。
悔しいけど家に帰って練習する。そんな毎日が延々と続く。
音楽でカネを稼いでやる、という気概がなければ絶対に続きっこないし、
そんな強い気概を持続するためには、よっぽど音楽が好きであることが大前提だ。
例えば、魚屋のオヤジは朝早く起きて魚河岸に行き、
誰よりも新鮮で美味しい魚を買って帰り店先に並べ、お客さんに出来るだけ安く売ろうと努力する。
店じまいの時間には店先やウインドウや洗い場をきれいに洗い流し、
シャッターを閉めて一日の売り上げを計算し、翌朝に備えて出来るだけ早く就寝する。
きっとこんな毎日の連続、その日一日を生き抜くことで精一杯なのだろう。
魚屋のオヤジが果たして、魚屋になるのが夢で、
魚屋で食ってゆくという強い気概を持ち続けられたほど魚屋が「好き」だったかどうかはわからない。
でも「絶対にカネを稼ぐ。」という気概を持続しているからこそ
魚を売るプロとして、魚屋を続けていられるのに違いない。
プロミュージシャン、ミュージシャンだってかわりはしない。
汗臭くて泥臭くて所帯じみていてひどく人間臭い、唯の仕事だ。
とりあえず食えるようになってみると良い。
本当の意味での夢を実現させるスタートラインは、
そこにこそはっきりと引かれていることに気づくはずだ。
そしてもう一つ付け加えさせてもらうなら、
NYという街は夢を見るのに適した街では断じてない。
NYは夢を実現させるのに適した恐ろしくタフな街なのだ。

***PCIから「AC+」が届いたのでさっそくギグに持っていった。
そもそもこのAC+は、二つの違うキャラを持つブースター(オーヴァードライヴ?)が
一つの箱に収まったエフェクト・ペダルで、
片方はマーシャル系、もう一方はフェンダー系のアンプの
それぞれのナチュラルオーヴァードライヴをシミュレートしようというコンセプトだ。
これら異なる二つのキャラクターを組み合わせて弾いてみると確かに面白いし便利だ。
しかし、
写真(http://www.pci-jpn.com/products/xotic/effects/ac_plus/index.html)
を見ればわかると思うが、調節ノブがとても多く、
このペダルのキャラをしっかりと見極めるのには相当時間がかかりそうなのは否定できない。
これから積極的にこのAC+を現場で使ってみて、
その感想を随時ここにレポートしてみようと思っている。

だんだん慣れてきだぞ、このAC+。
早い話、キャラの違う二つのオーヴァードライヴが一つの箱に収まっているエフェクターだ。
手始めに、去る土曜日のギグではchAをオーヴァードライヴに、chBをブースターに、
それぞれイメージして使ってみた。
つまり、太い音でプレーしたいけどあまり歪ませたくないソロや、
押しの強いブギなどをバックアップする時に細かくトーンを設定できるchBをオンにし、
スティッキーで濃厚なトーンでソロを展開したい時にゲインを高めに設定したchAを踏んだ。
第一印象としては、このAC+にある二つのオーヴァードライヴは、
どちらもRCでもACでもBBでもない独特のトーンで、
それは意外にも、とてもクラッシックなオーヴァードライヴのトーンを生むエフェクターだ。
(続く。)

投稿者 hirosuzuki1 : 2007年09月22日 14:59

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