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2007年07月19日

第36回;「GED」と「EFF」

afterthegig@syard,oct19, 2005 004.jpg
深夜のNY地下鉄駅。俺の帰る家は...


***今から20年以上前、
銀座の小さなナイトクラブで皿洗いのバイトをした事がある。
小さな店とはいえ銀座一等地のど真ん中、大会社や大銀行の会長や重役達が部下を従え、
二次会、三次会の場として利用する隠れ家的な店だった。
今になって思えば、あの時あの店で見た光景は、膨れ上がるバブルに浮き足立つ日本社会の舞台裏、
そのほんのひとコマだったような気がする。お世辞、おべっか、バカ騒ぎ、腹の探り合い、そして陰口。
彼等のこの店での言動は、まるでどこかの国営放送のお笑い番組のように安っぽく
軽薄でわざとらしくて面白くなく、およそまともな人間のなせるものとは到底思えないしろものだった。
誰一人として「なあ、もうやめようよ。」と言い出すことなく延々と繰り返される、
超有名大学出身の超エリート達による、当人達はいたって真剣な、「いも」で「どん臭」い、
見るに耐えない演技。「この人たちが本当にこの国の経済を担ってゆくんだろうか?」という
一抹の不安以上に、彼等一人一人のアイデンティティーは一体何なんだろうと
薄気味悪ささえ感じたのを今でもはっきりと思い出す。

何年か前、ハーレムでのリハーサルの後、当時かなり流行っていた「クラブ」に
バンドメンバー一同で遊びに行ったことがある。
たまたまバンドのマネージャーがその「クラブ」のオーナーを知っているということもあって、
店の入り口に出来た長蛇の列を脇目にちょっとしたVIP待遇で即入店を許された。
外見からは想像しづらいほど奥行きのある店内は既に多くの「いけてる」男女が
薄暗い店内でうんざりするほど大きなヴォリュームのBGMに身を泳がせながら
思い思いに時を過ごしている。
そして所々に、アジア人ばかりの、3~4人の女性グループが、
やはり3~4人の非アジア人男性グループに囲まれて盛り上がっている。
なんだかまるでアジア対アメリカ対抗のフィーリングカップル5対5のようで不自然だ。
そしてしばらくして気がついたことなのだが、
その店で働く一部の店員同士の会話の中に、
“Let Cows in !” とか、 “Make Cattle move in first .” とか、
所々に「Cowsカウズ」とか「Cattleキャトル」とかいう
こんな店にはおおよそ似合わないような言葉が出てくるのが小耳にひっかかった。
後になって店員の一人が教えてくれてわかったのだが、「乳牛(カウ)」、「家畜(キャトル)」とは、
干草を与えればいくらでも乳を搾らせてくれる、そしていつ隣の牛に移っても何も言わない、
優しい言葉さえかければすぐにベッドまで付き合ってくれて文句を言わずいくらでも貢いでくれる、
この店に我が物顔でやってきてはVIP待遇であしらわれる日本人女性集団へのこの店での蔑称だった。

1年程前だろうか、あるちょっとしたストーリー仕立てのTVコマーシャルが印象に残った。
世界で最も有名なクレジットカード会社の一つ、M社のコマーシャルで、
...アメリカで出会い、恋が芽生え、結婚を決めた日本人女性とアメリカ白人男性が、
お互いの御両親を自分達の住む街(アメリカ)に招待する。
双方共に極めてごく普通のアメリカ人夫婦、日本人夫婦で、
空港で二人にそれぞれ紹介され、四人はいささか戸惑いながらも幸福いっぱいの対面を果たし、
二人の愛は心から祝福されるのであった...こんな大切な出会いを、Mカードはお手伝いします!
...ざっとこんなストーリーである。
このコマーシャルの中で、この日本人女性とご両親の姓は「 SUKI 」さん、
そして双方のご両親が対面した際、スキさんのお父さんは、胸の前で両手を合掌し、
顔だけは上げたまま腰を深々と折る「お辞儀」をしながら上目遣いで相手のお父さんを見つめる。
恐らく日本という国はM社にとって世界でも上位にランクされる大きな市場に違いない。
そして21世紀の今、世界中の隅々でどれだけの日本人が活躍し、
どれだけの日本人女性が国際結婚しているのだろう?
そしてそんな「国際的」な日本人達はそれぞれの日常生活の中で、
一体どれだけ自分自身を主張しているのだろう? 
最近このコマーシャルは見かけなくなったが、
もしかしたらM社に対してなんらかの抗議があったのかもしれない。
15、6年前、たしか俺がNYに引っ越した頃、ある女性作家が「イエローキャブ」という本を出し、
それに対し「事実無根、名誉毀損だ!」と多くの在NY日本人女性が声を荒げ
訴訟問題にまで発展させた。
このM社のコマーシャルに対しても、
なんらかの抗議の声が日本人の間からあがって当然だと思う。

ミス・ユニバースとかいう、世界で一番美しい女性を選ぶとかいうコンテストで
今年は日本人の女性が優勝したらしい。
最近このコンテストでは、毎年のように日本人女性が上位に入賞しているのだそうだ。
ここ数年の日本代表達の写真を観たが、確かに溜息が出るほど美しい女性ばかりだ。
ただ、これはあくまでも俺の目から見た感想なのだが、そんな彼女達の少なくとも半分が、
西洋の人々が永い年月にわたって頑なに抱き続けているところの、
いわゆるステレオタイプの「エイジアン・ビューティー」に当てはまるように思えてならない。
例の、「ストレートの長い黒髪、細くとんがった目、フラットな輪郭」である。
どうひいき目に見ても、日本人の思い描く日本人女性的美貌とは思えない。
そして彼女たちのバックには、ある優秀なフランス人コーディネーターが存在し、
言ってみれば「ミス・ユニバース請負人」のような働きをされているそうなのである。
そのかたわらに、ここ数年の「ミス日本」の写真が載っていたのだが、
こちらはさしずめどこかのテレビ局の女子アナ名鑑だ。
そこそこ可愛いくてそこそこ知的でそこそこ綺麗な「今風」の日本人女性達。
このミスユニバース日本代表とミス日本との「差」はいったい、なんなんだろうか?

ツアー中、メンバーと一緒に食べ物や飲み物を買う為にスーパーマーケット等に立ち寄ったとき、
彼等がパッケージに記載されている原材料や含有物を
驚くほど細かくチェックするのにはいつも驚かされる。
マンハッタンの日本食良品スーパーなどでも、
アメリカ人の客が日本人の店員に「この白滝のファットはいくつなの?ソデユムは?!」などなどと
執拗に食い下がる光景は日常茶飯事だし、また「ヤマOの麺つゆは売り切れなの?!」という質問に
「売り切れですよ、でも、にんべOの麺つゆがありますよ。美味しいですよ。」と答える店員に
一瞬ウッと答えに窮したあげく、「ヤマOじゃなくちゃダメなの!」と不満そうな客や、
「ハOスのチューブ入りおろしワサビじゃなきゃダメなの。エOビーのおろしワサビはイヤ!」と
自信たっぷりに言い切るおばちゃんなど、「本当に違いがわかって言ってんのかなぁ?」と
つくづく首を傾げたくなってしまう。
日本食が健康食の代表とたてまつられ、日本食イコール高級、といったステレオタイプなイメージが
アメリカ中に浸透してからもう軽々20年以上経つのではないだろうか。
しかしそれでも、日本食崇拝者のほとんどが
寿司飯には砂糖と塩がたっぷり入っていることをいまだに知らないし、
日本食レストランに行けば高価な服飾品を身にまとったレディーが涼しい顔で
炊きたての白米に醤油をぶっかけて食べてるし、
コーラを飲みながら寿司をつまんでるし、アガリに砂糖を入れるし、
日本風居酒屋に行けば小皿に山盛りにした錬りワサビだけを食べながら熱燗を飲み、
偉そうに日本文化について語るスーツ姿の紳士がいたりする。
強くせがまれて連れて行ったレストランで散々迷ったあげく注文した料理を、
口にして最初の一言が「...ヒロ、これって、本当に俺が注文した料理...?」、
これでは食事を一緒する気持ちなどつくづく消え失せてしまう。
特にツアー中などは、どうしても食事に何を食べるかで悩むことが多くなるのだが、
それでももう随分前から、ツアー中の食事、特に夕食では
なるべく仲間を誘わずこっそり一人で出かけることにしている。
そうでもしないと食べられる料理の選択肢があまりに少なくなってしまうからなのだ。
アメリカの食事は甘いか辛いかどちらか、
なにからなにまで極端に味が濃く、とにかくバラエティーに乏しい。
日常生活で自分で料理「しない」のがほぼ当り前になっているから、
この食材をこう料理すれば味はこうなる、というような予想が全くつかないために
味覚の許容範囲がいつまでたっても極端に狭いままで、
結局は自分の知らない味は全て「マズい味」で括ってしまう。
何年か前に日本のテレビ番組である御医者さんが
「味覚は美味しいものを食べることで成長するもの。」と言っていた。
もしかすると、コーンフレーク、ローファットミルク、ハンバーガー、キャンベル缶、フライドチキン、BBQ、
そしてコーラで大人になる彼等の味覚は幼稚園生位のレベルで成長が止まっており、
氾濫する「物」と情報に囲まれたあげくに何がどう美味しいのかが自分では判断できずに
結局はブランドネームや原材料の記載に頼らざるを得なくなっているのではないだろうか。
率直に言ってこの国の食文化は、まだまだ語るに足るレベルには程遠いとしか言いようがない。

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先月中頃に帰国した際、ライヴハウスを経営する友人がこんな話をしていた...
「(日本の)どこのライヴハウスも集客には苦労してる。
で、一番簡単に客を集められる方法はジャムセッションなんだよ。
年齢や性別に関係なく楽器片手に音楽好きがどんどん集まってくる。
でもね、例えばブルースのジャムをやって、
『ああ、こんなにブルースが好きなアマチュアミュージシャンがいたんだ!』と思って、
そんじゃあって、日本の大物ブルースマンを、店的にはかなり無理してブックしてバンバン宣伝しても、
演奏当日になると全然聴きに来てくれないんだよね。
だからどこも結局は、そんなアマチュア達に優先的にステージを開放して、
ジャムやったりライヴやらせて身内や友達にチケット売らせて、
一番てっとり早い方法で売り上げを確保するようになる。
音楽のクオリティーはもうどうでも良くなっちゃうんだよね。
みんな音楽のこと良く知ってるし、CDもいっぱい持ってる。
楽器なんて物凄く良いの持ってるよ。
BBやバディー・ガイが来れば、いつだって野音は満員になるでしょ、
でもウチに日本のプロ呼んでも絶対に来ない。
CDを聴くことが音楽を聴くことで、常日頃CDで聴いてる大物が来日したときは野音に観に行くけど、
結局ライヴ・ハウスには、弾きには来るけど聴きには来ないんですよ。」
...するとこの話を傍らで聞いていた、プロミュージシャン歴30年の友人が、
「ロックやブルースが日本に入ってきてもう50年近くになるのに、文化として全然根付かないのは、
結局ライヴの音を聴こうとしないからなんだよね。」と言った。
生演奏を聴こうとしないから、いつまで経ってもライヴ音楽の面白さがわからなくて、
仕方なく今まで聴いてきたレジェンド達のCDやDVDと比較して
「本場の音だ!」とか「こんなのブルースじゃない。」とか、
せいぜいその程度の深さでしか音楽をとらえられないのだ、と。

自分が今どんな生演奏を聴きたいのか、またどんな音でライヴ音楽を創造したいのか、
より具体的にイメージする為にもライヴ・ハウスに友人を誘わず一人でどんどん足を運び、
名前を知らなくともとりあえず看板に「プロ」と張り出してるような奴の演奏を
聴きまくってみたらどうだろう。つまらなかったらもう二度とそいつの演奏に行かなければいい。
日本にも素晴らしいプロミュージシャンが沢山いて、
いろいろな場所で今夜も地道に自分の「音」を創造し演奏している。
もし、「くっそ、あいつあんなカッコいいプレーしてやがる!」と悔しく思えるようなプレーヤーに
出会うことができたら、そのプレーヤーが演奏するライヴに足繁く通って、
そいつが持っていて自分が持っていない「何か」を是非見つけ出してみるといいと思う。
そしてもし、その「何か」を突き止められたと思うときが来たら、
その時は是非ジャムセッションに参加して、その「何か」を実際にバンドの中で実験してみれば良い。
同じような動機でジャムに集まってくる奴がいたら、それこそお互いを刺激し合えるし、
ジャムそのもののクオリティーも必ず上がってくると思う。
プロが参加したくなるようなクオリティーの高いアマチュアジャムセッション、
日本のライヴシーンにも現れてきてほしいと思う。

最近、XoticスタンダードテレのフロントPUをP90に換えた。
今までにもこのP90というPUを使用したことはあるが、
現在参加しているスイング・ブルース系のバンドで久々に多用してみて、
改めてこのPUの個性がわかってきた。ホーンセクション、アップライトベースとの相性がとても良い。
もしかしたらロックンロールが「ロック」になる以前のほとんど全ての音楽は、
このP90によって構築されたのかもしれない。
材質、スペック共に素晴らしいXoticテレとの相性もどうやら悪くないようである。
今後の課題は、全く別な意味でかなり個性的なテレ・リアPUとのバランスをとること。
使用するアンプも考慮に入れなければならないかもしれない。

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それから、PCIから新しいエフェクターが届いた。ARIONコーラス・バイブという。
PCIからの説明によると、これはもともとステレオコーラスとして製作されたのだそうだが、
これをアップグレードした上に敢えてモノに改造し、さらにビブラート機能を加えたのだという。
早速ギグで使用してみたが、まず全体的にとても良く「かかる」エフェクターだ、というのが第一印象。
俺のようなロック・ブルース系のギタリストが「揺れ系」のエフェクターを使用する時は、
くれぐれも「かかり過ぎ」に注意しなければならない。
バンドのアンサンブルや曲の雰囲気にマッチせず楽曲全体を薄っぺらにしてしまうからだ。
このARIONをコーラスとして使用する時、
まん中のノブ(Depth)は最低の「MIN」から目盛り「1」の間で十二分。
それ以上だとRateやToneの調節に関わらずオーヴァーエフェクトになってしまう。
またビブラートの方は、オルガン・シュミレートとしてかなり良い感じで使っている。
この場合、一番右のノブ(Tone)の調節が重要なポイントになる。
いずれのエフェクトでも、とにかく分厚くこってりとした音になるのだが、
ONにすると若干コンプレッサーがかかったように全体がフラットになりがちなので、
その場その場で臨機応変に各機材を調節してやれば、
秘密兵器としてかなりつかいでがありそうだ。

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2007年7月19日
HIRO SUZUKI

蛇足
5月の終わりから6月の頭にかけて、
茨城、東京、神奈川で合計四回の演奏をおこなった。
昨年の帰国ではギグの数を増やしすぎて、心身ともにオーバーワーク気味になり
演奏面でのクオリティーにいくらかの不満を残したまま一気に駆け抜けてしまった嫌いがあったため、
今回はギグの回数をスケジュールを組み立てる段階から4本と決定し、
その分じっくりと腰をすえたリハーサルをたっぷり取って
一つ一つを自分が音楽的に満足できるギグにしようというコンセプトで取り組んでみた。
目標どおり、それぞれのギグにおいてリハーサルの効果がはっきりと現れ、
また回を重ねるごとに目に見えて「G.J.JUKE」というユニットが
自分が思い描いている音に近い音を生み出すようになっていった。
集客という点ではもっとも失敗した最終回の藤沢ベックではあったが、
演奏面では緊張感の高い、かなり成熟した演奏が出来て、
最後のギグにふさわしい充実感を味わえたと思う。
また3回目の新中野弁天でのセッションには、
想像を遥かに超えた数のミュージシャンが集まり、また多数のお客さんにも恵まれた。
ここで何より特筆したいことは、その集まってくれた多くのプロミュージシャン達の、
音楽に対するまるで子供のような純粋な情熱である。
これが全てだったと言ってもいい。
ピュアでポジティヴなバイブが音に乗って店中を駆け巡り、それを受け取ったお客さんたちが
もう一度それを倍にしてステージの上に投げ返す。
ミュージシャン、音、オーディエンスが三つ巴になって
「音楽」というアートをどんどん創りあげるフィールドとして、その晩の弁天というスペースは完璧だった。
日本での全ての日程を終らせてNYに戻ると、
G.J.JUKEの二人のメンバーからのコメントがある掲示板に載った。
「G.J.JUKEのギグはみんな2ステージだったけど
本当はみんな3ステージ。サウンドチェックの段階から真剣勝負で汗だくになる。本当に疲れた。」、
「サウンドチェックでここまで手を抜かないバンドは日本では見たことがない。
みんな本番のためにセーブするのに、G.J.JUKEはサウンドチェックからエンジン全開にする。」...。
この二つの意見が、どんなに俺を喜ばせてくれたことか!

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蛇足2
俺がまだ日本にいた頃、
「クラブ」とは大抵の場合、ホステスのおねえちゃん達が接待してくれる飲み屋を意味した。
そしてこの「クラブ」の発音を音にすると、「G E D」なのだそうだ。これは俺の友人の説。
そして最近の、カリスマDJとかが音楽をかけてる、例の「クラブ」は、「E F F」なんだって。
俺はどうも、この「E F F」は肌に合わない。
そもそもBGMがでかすぎるのだ。
基本的に普通の声の大きさで隣の人と話せる場所じゃないと落ち着かないし、
面倒臭くなってくる。それに人ごみも苦手だ。
じゃ、「G E D」は好きなのか、って聞かれると、
うーん、こっちもあんまり好きじゃないな。
まずカラオケは面倒臭いからめっぽう苦手。
おねえちゃんは...えっと、嫌いじゃないんだけど、
あのね、あのしらじらしい笑顔や気配りがどうしても気味悪い。
その白々しさを承知の上で接待されるのって、やっぱ面倒臭い。

投稿者 hirosuzuki1 : 2007年07月19日 13:30

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