Bob Bradshawインタビュー (2/3)
ジョン・サーとの出会いとアンプの開発
PCI:そうですね。 それでスタジオミュージシャンの人達から一気に口コミで広がっていったんですね。 また、あなたはOD-100や3プラスなどのアンプも作ってみえまね。 そしてジョン・サーがしばらくあなたの所で働いていて、OD-100などは彼の設計ということですが、あなたは開発にタッチされなかったのでしょうか? Bob:ジョンはしばらく僕と一緒に働いていました。 プリアンプ3プラスもOD-100も共同で開発したんです。 僕の開発コンセプトのもとでジョンが回路などを設計したんです。 ちょっと長い話になりますがいきさつを聞きたいですか?(笑) Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida) PCI:是非お願いします。 Bob:スティーブ・ルカサーと知り合ってから彼とは大変親しい友達となりました。 そして彼のツアーには1985年から1991年まで、ギターテックとしてどこへ行くときもどのショーにも必ず同行したんです。 その頃彼と一緒に何度も日本へも行ってるんですよ。 そして彼とのツアーの間にまた色んな事を発見したんです。 その頃僕たちは色んなサウンドを出すためにたくさんのアンプを使っていました。 そしてユニークな使い方をしてたんです。 それら多くのアンプはすべてプリアンプとして使い、別に共通のパワーアンプを使って切り替えて鳴らしていたんです。 結果的に機材の量は大変なものになりました。 たくさんのアンプを世界中のツアーに持ち運ぶので、スペースや運賃の問題がいつもついて回りました。 PCI:なるほど、特に日本やヨーロッパのツアーは大変だったでしょうね。 Bob:そうです。 それで解決策を考えたんです。 スティーブは、ソルダーノのSLO-100 を持っていてリードサウンドに使っていました。 そしてマーシャルアンプをクランチサウンド用に、そしてメサブギをフェンダーの様なクリーンサウンド用に使っていました。 大きく分けて3つのサウンドを使い分けていたんです。 それでこの3つの音を2Uラックのプリアンプに凝縮する事を考案したんです。 これで大変なスペースと運賃の節約になります。 このコンセプトをマイク・ソルダーノに話したんです。 要するにフェンダーのクリーンチャンネルとマーシャルのクランチチャンネルとSLO-100リードチャンネルの3つのプリアンプを2Uラックのボックスに入れてくれと依頼したんです。 そして各チャンネルごとに個別に、ゲイン、ベース、トレブル、ミドル、マスターヴォリュームのコントロールをできる様にするという僕のコンセプトも注文しました。 3つのチャンネルを全く個別にコントロールしたかったんです。 唯一、インプットとアウトプットのジャックはまとめてもいいと頼みました。 マイクはこの製品のシャーシも持っていなかったので、僕のスイッチャーのシャーシの一つをマイクに渡して製品を早急に完成するように頼んだんです。 PCI:それが「3プラス」ですか? Bob:いいえ、まだ話は続きます。(笑) ところで、この時のプロトタイプは日本の誰かが持っているらしいですよ。 マイク・ソルダーノは、この3チャンネル・プリアンプをソルダーノのX-88Rとして発表しました。 1988年のことでした。 このアンプは基本的には僕のコンセプトに基づいて作られたものです。 もちろんマイク・ソルダーノが回路設計などでヘルプをしてくれたので物ができたのは間違いありませんが。 そしてこのアンプをスティーブ・ルカサーの機材に使い彼は大変気に入ってくれました。 その後僕はこのX-88Rプリアンプを多くの有名ミュージシャンの機材に使ったんです。 当時マイクは$1,800でこのアンプを売ってました。 そして僕には$1,700で卸すんですよ。 全く儲かりませんよね。(笑) でも僕はこのアンプをプロミュージシャンのシステムに使い続けたんです。 そして数年後、このソルダーノアンプを使う度に、もっとトーンバリエーションが必要でサウンド的にももっと改良すべきだと思うようになりました。 ミュージシャンの改良の要望も多く出てきました。 ちょうどその頃、ジョン・サーが僕のスイッチング・システムを注文してくれたんです。 彼はギタープレイヤーでもありましたからね。 PCI:ジョン・サーはその頃もうあなたと一緒に仕事をしていたんですか? Bob:いいえまだです。 その頃彼はまだニューヨークに居ました。 電話で僕のスイッチングシステムを注文してきたんです。 彼にシステムを作り、その後電話を通じて友達になりました。 ジョンはギターを作るだけじゃなく、アンプの改造やそのほかの事にも大変興味を持っていました。 彼もソルダーノアンプを持っていて、僕と同じように改良の必要性を感じていました。 その頃僕はスイッチング・システムの注文で大変忙しい時期でしたので、ジョンに言ったんです。 「ジョン、一緒にプリアンプを開発しないか。」って。 その頃、ジョンは全く違うことにチャレンジしたいと思っている時期で、また西海岸に来るチャンスを伺っていた頃でした。 それで、「ジョン、ロサンゼルスに引っ越しておいでよ。そして一緒にカスタムオーディオアンプを作ろうよ。ライフスタイルを大きく変える事ができるよ。住む場所や車の手配のヘルプはするから。」って誘ったんです。 そしてジョン・サーがロサンゼルスへ引っ越して来て、ここで働く事になったんです。 PCI:そういういきさつだったんですか。 それは何年のことですか? Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida) Bob:確か1991年だったと思います。 そして二人で一緒にプリアンプを開発したんです。 最初のソルダーノと作ったプリアンプの基本コンセプトを残し、サウンドや機能を大きく発展させました。 スティーブ・ルカサーとマイケル・ランドーがサウンドに関しては多くのアドバイスをしてくれました。そして3プラスができたんです。 マイク・ソルダーノはこれを知った時、あまりいい顔はしませんでしたね。 でも僕にしてみれば、もともとこの製品は僕のコンセプトで作られたものなんです。 だから見た目もよく似たものになりました。 良いものをわざわざ変える必要はありませんからね。 僕のスイッチングボードも20年前から変わっていない様にね。 PCI:3プラスの開発では、ジョン・サーが重要な役割を果たしたんですね。 Bob:もちろんです。 コンセプトの部分では一緒に話しあいましたが、彼がほとんどの回路設計やレイアウトをやりました。 PCI:同じ様なやり方で、ジョンと一緒にOD-100アンプも開発されたんですね? Bob:そうです。 OD-100については苦労しました。 いつパワーアンプを作るんだと多くの人から要望がありましたが、あまり最初は開発に気が進まなかったんです。 既に良いパワーアンプはたくさんありましたし、パワーアンプの改造は大変難しいからです。 サウンドやトーンの80%はプリアンプで決まってしまうんです。 だからパワーアンプを改良して、プリアンプとのコンビネーションでトータルサウンドもよくするという事は、大変お金もかかるし時間もかかる事なんです。 それでも何とか90年の中頃にOD-100を作りました。 最初のOD-100 は操作性がちょっと複雑でした。 マイケル・ランドーには色々相談に乗ってもらい感謝しています。 マッチレスなどのチューブアンプと違って幾つかのチャンネルを持ち、もっと多様性に富んだアンプにしたかったんです。 3プラスを開発した時のコンセプトに近いですね。 かと言ってたくさんのノブが付いたマーシャルやメサブギよりはシンプルで使い易いものにしたかったんです。 PCI:OD-100や3プラスなどは今も作ってみえるんですか? Bob:3プラスについては限られた数ですがまだ作っています。OD-100についてはあまりに製造に時間がかかるので、作ってくれる所を探しています。 |
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