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2018年9月10日

PCI JAPANインタビュー#7(Makoto Izumitani)

Makoto Izumitani インタビュー

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LAの有名ジャズクラブThe Baked Potato に毎月出演し、いつも超満員になる人気バンド Stolen Fishで、女性ボーカル兼ギターのKaren Martin、ご存知スーパーギタリストのMichael Landau、フレットレスベーシストのChris Royと共に Makoto Izumitaniという日本人がドラムを叩いていました。 この4人は固定メンバーでCDも2枚発表済み。 現在新アルバム制作中です。
Stolen Fishの紹介については是非下記をチェックしてください。4人の写真とMichael Landauのギターが聴けます!

http://www.stolenfish.com

Stolen Fishのライブのスナップショットです。
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マイケル・ランドーとカレン・マーティン。 異色の取りあわせ
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リズム陣は、マコトさんと、クリスのXOTIC 6弦フレットレスベースで完璧!

さて、今回は他の3人のメンバーから絶大な信頼を得て、ライブではMCまで任せられているドラムのMakoto Izumitani、マコトさん。彼にBack Stage Storyをお聞きしました。

PCI:LAの人気バンドのそうそうたるメンバーの中に、日本人のドラマーを発見して驚きました。 お名前はなんて漢字で書くのでしょうか?

マコト:泉谷真と書きます。 

PCI:アメリカにはいつ来られたのですか?
マコト:10年前の18の時に高校を出てすぐ来ました。

PCI:日本の出身はどちらなんですか?
マコト:生まれは広島県の福山という所なのですが、父親の関係で2、3年に一度くらいのペースで引っ越しし続けていて、北海道、山形、東京、奈良、静岡、松山と住んで中学2年の時にまた東京に引っ越しました。それから高校卒業までは東京で暮らしました。 

PCI:アメリカに行こうと決めたきっかけはなんですか?
マコト:13、4歳の頃からDrumを始めてBandで演奏したり「つのだ☆ひろ」さんにドラムを教えてもらいに行ったりしてました。中学を卒業する時、ひろさんが「俺が推薦状書いてやるから、バークレーに行けば?」と言ってくれたんですが、まだ15歳でしたからやっていける自信がなくて。 その後高校の頃からアメリカでやりたいという気持ちが固まり始めたんです。L.A.へ来て1年MIという音楽学校のPIT、Percussion Institute of Technologyに通いました。ここではTOTOのDrummer, Jeff Porcaroのお父さんJoe PorcaroやFrank ZappaのBandにいたRalph Humphreyなどが教えていて、そこで勉強しました。 

PCI:結構早くからバンド活動をしてらしたんですね。どんな音楽をやってたんですか?

マコト:中学生の時は同級生ではなくて、学校以外の年上の人と一緒にやることが多かったので、ディープパープルや、レッドツェッペリンなんかを演奏してました。好きな音楽はその頃は流行りのポップスで、僕が小学生のころ最初に買ったレコードはケニーロギンスだったんです。そういえば、昔、Guitar playerのToshi Yanagiさんが毎週月曜日Baked Potato にCecilia Noelという人と出演していて、たまたまそのレコードで叩いてたドラマーTris Imbodenと一緒に出てまして。思い出のレコードのメンバーの本人に会えたんで、感激でした。 現在彼はChicagoのメンバーになってTour してますが。

PCI:Toshiさんとはいつからお知り合いなんですか?

マコト:面白い話なのですが、高校時代にハリウッドにMIっていう音楽学校があるって聞いて、興味を持ち始めていた時、当時の高校で音楽の間宮先生という人に、「あなたの先輩で、ロスの音楽学校で教えてる人がいるんだけど、彼が丁度来てるんで、一緒に食事しない?」って誘われたんです。それで行ってみたら、その時来てたのがToshiさんだったんです。丁度その頃まで、MIで講師をされていたらしくて。 

PCI:あっ、Toshiさんは高校の先輩になるわけですね? 高校で重なってた時期はあったんですか?
マコト:いいえ、6年違うので自分が入学した時にはもう卒業されていました。
 
PCI:Toshiさんに最初会った時はなんて言われたんですか?

マコト:初めて日本で会ったときは「来ない方がいいんじゃないの」みたいなことを言ってました(笑)。その時は連絡先ももらわずにもう会うこともないかなと思っていたのですが 結局、自分は自分でMIへ行って、しばらくたってまたこちらで再会することになりました。 

PCI:MIを卒業されてもう8年くらい経って、今ではロスの超大物とも一緒に活動されてますね。 今、Michael Landauと一緒にやってるStolen Fishでやることになったいきさつを教えてください。 
マコト:The Baked Potatoで他のバンドで出演してた時に、Stolen FishのボーカルのKarenがドラマーを探してると言って、電話番号を聞いてきたのがきっかけですね。 しばらくなんの連絡もなかったのですけど、半年くらいして一緒にやることになったんです。 最初ギターは別の人が弾いてました。一年位して、当時のギタリスト、Jimmy Mahlisがやめる頃に、MichaelがGigを見に来たんです。 彼は僕らが新しいギタープレーヤーを探してるって聞いて、「じゃー俺がやる」って言いはじめて。
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4人のフランクな意見が飛び交うStolenFishの陽気なリハの一こま彼らの仲の良さが伝わります。

PCI:Stolen Fishの演奏に興味を持ったんですね。

マコト:でも最初は信じてなかったんです。 その時は酔っ払ってて、なんか言ってるなーぐらいにしか思ってなかったのが、(笑)。 一緒にやることになって。 1999年以来もう2年ほど彼と演奏してます。 僕はその2年ほど前に始めてますから、 Stolen Fishとは結構長くやってますね。

PCI:アルバムも2枚出てますし、月1回のBaked Potatoでのライブはいつも超満員ですよね。 
マコト:そうですね。 一枚目のライブアルバムはJimmy Mahlisという人がギタリストでした。 2枚目はスタジオアルバムでMichael Landauとレコーディングしました。 

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ドラム叩いている時はとってもワイルドなマコトさん

PCI:Stolen Fish 以外にはどんな活動をされてるんですか?
マコト:Toshiさんと一緒に月1回ペースでやろうとしているGIGがあって、前回はBassのJimmy EarlというChick Coreaなんかと一緒にやってた人と、彼は今Robben Fordとtourしてますけど、KeybordsのDavid Garfield, それとToshiさんと僕の4人でやったんです。 次回はまた違うメンバーでやろうと色々声をかけてるんです。 ベースはPaul Simonなんかとやってたアフリカ出身のArmand Sabal-Leccoになると思います。 サックスとキーボードもいろんな人に声をかけていて、もうすぐ決まると思います。 

PCI:バンマスはToshiさんなんですか?

マコト:一応僕が皆に電話をかけて、メンバーを集めてます。

PCI:これも月に1回のペースでやってるんですか?
マコト:そうできれば良いと思ってます。

PCI:毎回豪華メンバーが集まるっていうのがすごいですよね。

マコト:Toshiさんもいろんな人を知ってますし。 前回もJimmy Earlとは初めて一緒にやったんですけど、面白かったですね。 

PCI:こう指をなめながら弾く独特の人気のあるベテランベーシストですよね。

マコト:ええ。 

PCI:David Garfieldとも時々やっているみたいですけど、彼のGIGにもすごい人が集まりますよね。 

マコト:そうですね。Paul Jackson JrとかFreddy Washingtonとかとも最近やってましたね。 

PCI:でも考えてみたら、マコトさんもそういうすごい人たちの中の一人ってことじゃないですか?

マコト:いやそんなことはなくて一緒にやったのも僕が電話してこっちからやりませんかと頼んだだけで、彼から頼まれてやったことはないんです。初めてやった時はDavidと、Toshiさんと、昔スパイロジャイロでベースを弾いてたOskar Cartayaという人と4人でやりました。 次の時はToshiさんができなくてその替わりにAlbert WingというDiana Rossなどの仕事をしているサックスの人と4人でやりました。 

PCI:ということは、Davidと何回もやってるわけで、彼もマコトさんを気に入ってるということじゃないですか?

マコト:彼が僕を呼んでくれる様になったら嬉しいですね。DavidとやったのはThe Beast from the Eastっていうグループなのですが、これは昔Toshiさんがつけた名前なんです。Toshiさんは様々な仕事を通していろんな人を知っていて、ギターもとても素晴らしく、尊敬してます。それ以外に、日本人のジャズのキーボードで、あやさんって人がいるんですけど、彼女のレコーディングなんかにも参加してます。 

PCI:こちらにいる人なんですか?

マコト:そうです。 日本でスムーズジャズみたいな音楽を中心に出しているレーベルがあって、 そこが興味持ってくれてるようなので、うまくリリースされるようになるとよいのですが。 

PCI:最初はロックばっかりだったのが最近ではいろんなジャンルの音楽をやられる様になったんですね。

マコト:そうですね。 ドラムをはじめたころはポップス、ロックしか聞いてなかったのですが、その後いろいろな人を通じて様々な音楽を吸収できる様になって、そうなるきっかけをくれた人達には本当に感謝してます。  

PCI:Michael Landauとは2年以上一緒にやっていらっしゃる様ですけども、何か面白いエピソードとかありますか?

マコト:Stolen Fishの前回のアルバムは彼のHome Studioで録音したんですよ。

PCI:家にスタジオがあるんですね。 場所はどこですか?

マコト:Pacific Palisadesという町にあります。 彼の音作りはとても面白かったです。 彼自身がRecordingとMixのEngineerを担当して、MasteringはBob Dylanの最近の作品なんかを手がけたJoe Gastwirtという人が行ったのですが、Michaelはもともとがギタリストですから、音作りがギタープレイヤーならではというのがありました。 例えば、ドラムなどにギター用のプリアンプでファズをかけたり、アナログディレイとかのペダルを使ったり。 たいへん面白かったです。 ディレイとかは是非ライブとかで使ってみたいと思ってるんです。 ドラムでそういうことやってる人あんまりいないですから。 

PCI:新アルバムも今企画されてる様ですね。

マコト:ええ、もうすぐスタートします。

PCI:次のもMichaelがプロデュースするんでしょうか?

マコト:そうです。これは僕の推測ですが、彼はずっとセッションギタリストだったじゃないですか。でも今プロデュースの仕事にも興味を持ってるんじゃないかと思います。 

PCI:David Garfieldなんかとやる時はどうですか? リハや打ちあわせはほとんどないそうですよね。 

マコト:はい。でもすごく面白いですよ。一応譜面とかは持って行くんですけど、こないだやった時もサウンドチェックにも来ずに、いきなり本番だったんです。やりながらどんどんセットリストを変えていったり。僕自身初めてやる曲もありました。本当に新鮮で面白いGIGですね。 

PCI:その辺の緊張感がライブの面白いとこですよね。 本当のその人の実力が出ますものね。

マコト:そうですね、たまにとんでもないことがおきたりもしますけども(笑)。

PCI:Stolen Fishではきちんとリハもやって、演奏する曲も事前に決まってるんですか?

マコト:いいえ、Stolen Fishでも簡単なリハだけで、後はライブでのノリを大切にしてます。リハやGIGで皆揃うことよりも、プライベートで一緒に食事をしたりすることの方が多いかもしれません。Karenに「今度うちでパーティーやるから来ない?」って言われたりとか、Michaelが「あそこのラーメン屋うまいから食べに行こう」とか。で、そんな音楽に関係ないとこで会ってる時に、今度こんなことやろうよっていう大きな企画が決まることもあるんですよ。 

PCI:そのほかに何か面白いエピソードはありますか?

マコト:こないだToshiさん、David Garfild、Jimmy Earlとやったときは最後の方で客として見ていたMichael Landauが酔っ払ってステージに突然上がって来たんです。それでToshiさんがギターを渡したんです。ちょうどその時客の中にQuincy Jonesのアルバムなんかにも参加しているBrandon Fieldというサックスの人もいて、「飛び入りで吹いてくれる?」って聞いたらサックス持ってステージに上がって来てくれたんですよ。突然、DavidとJimmyとMichaelとBrandonとやることになって。スタンダードの曲をやったんですけど、Michaelは酔っ払ってて、勝手に自分の好きな様にやるんですよ。DavidはDavidでこのテンポでこういうやりかたでやるって具合ですから、僕はどっちに付いていけばいいのやら。困りました(笑)結局、Davidが押しきったかたちになりましたけど。  

PCI:今後はどんなことを目標に活動なさるんですか?

マコト:いろいろな人達とPlayし続けてより多くの人に聞いてもらえるようがんばっていきたいと思います。

いつも笑顔で穏やかなマコトさん。音楽の付き合いだけでなく、なぜMichaelやKarenやChrisがマコトさんを好きで、プライベートな付き合いも深いのか判る様な気がします。今後アメリカでどんな活躍をされるのか気になる存在となりました。

投稿者 pcij : 22:13

PCI JAPANインタビュー#6(Wayne Johnson)

ウェイン・ジョンソン インタビュー
2000年3月6日(Cafe Cordialeでの演奏の2日前)
場所:リハーサルをやったドラマーのBill Bergのご自宅にて(LA郊外のSierra Madreという町)

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日本では知る人ぞ知る存在ですが、ここロサンゼルスでは引っ張りだこの多忙なベテラン・ギタリスト、ウェイン・ジョンソンに今回はスポットを当ててみました。10年以上マンハッタントランスファーのギタリストとして活動する傍ら、古くからの友人でもある、ベーシストのジミー・ジョンソン、ドラマーのビル・バーグとも地道な活動を続けています。現在はロスから車で南に3時間程走ったサンディエゴに住みながら、毎月ロサンゼルスへ出てきてはライブを続けています。彼がライブを演るとどこもクラブは超満員、出演者も観客にも大物が集まります。今回は、ドン・グルーシンも参加し、下記の豪華メンバーで、ロスのジャズクラブ 「カフェ・コーディエール」での演奏。 夜9時から夜中の1時まで、一般のファンからプロのアーティストも観客に迎え盛況にロスの夜は更けました。

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(演奏の途中、「ロボトーク」で弾きまくり、曲が終了したところで、「Hey, did you hear Robotalk, Toshio?」と名指しでアピール。 見ていた私はちょっとびっくり。 5人がそれぞれの持ち味を出し、本当に良いライブでした。 本物嗜好の人達が平日でもこれだけ集まるはずです。)

この演奏の2日前、リハーサルがドラマーのビル・バーグの家で行なわれました。 そこでのインタビューをレポートします。  

ロサンゼルスを東へハイウェイで30分、Sierra Madre(シエラマドレ)という閑静な高級住宅地にビルの家はありました。 ガレージの横の小さな部屋にジミー・ジョンソンやドン・グルーシンやビル・バーグが集まってリハをするのです。

Wayne: やあ、ようこそ。 今サンディエゴから着いたばっかりなんだ。 いつもの通りビルの家でリハだよ。
リハの前に少し話できるよ。

PCI: お願いします。 確か昨年の年末は奥さんとお子さんも一緒に日本へ行っていたとお聞きしましたが?

Wayne: そうマンハッタン・トランスファーのツアーでね。一昨年には矢野顕子と一緒に日本全国をツアーで回ったんだよ。今年もまた秋にはマントラと一緒に日本の「ブルーノート」へ行く予定。大阪と東京ともう一個所。名古屋だったかな。 

PCI: 一昨年の矢野顕子さんとのツアーは如何でしたか?

Wayne: アキコは大変スィートだった。あの時はアコースティックギター、エレキギター、スティールギターなど5本も持っていき荷物が多くて大変だったんだけど、全て僕のやりたい様にプレイさせてくれたんだ。彼女は「レコードも持ってくれば?」と言ってくれて、60枚位僕のCDの入ったカートンを持って行ったんだ。僕をコンサートではフィーチャーしてくれて、ソロもたくさん弾かせてくれた。そしたら彼女のマネージャーが演奏終わってから、やってきて、「Good NewsとBad Newsがある」って言うんだ。Good Newsは日本の観客の皆さんは Wayneに感動した。 Bad NewsはCD一瞬で売れちゃってもう無いので困っているって。最初の晩で全部なくなっちゃったんで、ワイフに電話して、アメリカで自分のCDをレコード会社から買ってもらい空輸で1,000枚位送ってもらったんだ。 届くの4~5日かかったから、前半のツアーには間に合わず、後半の7つのコンサートで1000枚売りきっちゃった。自分のプレイをこれだけ気に入ってもらえて本当にエキサイトなツアーだったよ。改めてアキコには感謝したい。また日本には大変いい印象を持っているよ。


マンハッタン・トランスファーとのツアー


PCI:マンハッタン・トランスファーとの仕事はもう10年以上ですよね? 日本でもまだ根強いファンがいるようですね。

Wayne:CDが大量に売れるバンドではなくなったけど、いまだに日本にもファンはいるようだね。 長い歴史があるグループだからね。80年代の中ごろはすごい人気だったよね。ちょうどジェイ・グレードンがプロデュースしていた頃。 

PCI:それ以外にはどんな活動をしていたんですか?

Wayne:96年まで3年ほど、リッキー・リー・ジョーンズとプレイして、それから2年ほど、ソロとしてアコースティック・ギターでプレイする頃、キーボード・プレイヤーのジョン・テッシュとプレイしたよ。 彼は日本ではあんまり知られていないかもしれないけど、こちらではエンターテイメントトゥナイトっていうテレビ番組出てる、ニューエイジロックで人気のある人なんだ。 

PCI:ベーシストの、ジミー・ジョンソンともよく一緒にプレイされてますね? 

Wayne:ジミー? もちろん!!彼は僕の一番好きなベーシストで、20年以上一緒にやってるよ。エレキベースを弾かせたら、世界でもベストプレイヤーの一人だろうね。今回も彼と一緒に演るからもうすぐリハに来るはずだよ。 

PCI:そうですかぁ~。ジミー・ジョンソンは日本でも人気がある人ですから楽しみです。今回はほかのメンバーは誰ですか? 

Wayne:ジミーがベースでドラムはこの家の持ち主ビル・バーグ。二人とも、出身はミネアポリスなんだよ。僕も3年ほどミネアポリスに住んだことがあって、その時彼等と会ったんだ。70年代の前半だった。その頃から3人で活動して、その後、3人ともロスへ引っ越して来て、それぞれが別の活動を始めたんだ。でも、必ず年に何回かはこの3人でずっと演奏をし続けてきたんだよ。そうそう、ドラムのビルは昼はミュージシャンじゃなくて、ディズニーでアニメを描いてるんだよ。

PCI:ディズニーのアニメのキャラを実際に描いてるってことですか?

Wayne:そう、ディズニーの有名なアニメ映画のキャラをたくさん描いてるよ。アラジンの肩にとまっていたあの鳥... 名前忘れたけど、あれとか、ライオンキングの子供のシンバも彼が描いたんだよ。 リトルマーメイドの中のキャラもたくさん描いてるし。 この間、ディズニーのアニメを作る所を見せてもらったけど、彼はすごいアーティスト。コンピューターを使うんじゃなくて彼が元の絵を全部手で描いて、それをフィルムプロダクションする人に回すんだね。 

PCI:ジミーとビルとあなたとは、ただの演奏仲間としてだけじゃなく、友達として本当に長い付きあいをされてるんですね。

Wayne:そうだよ。ジミーはスタジオ・ミュージシャンとしてもたいへん忙しいから、3人一緒にプレイするっていう機会はあんまりないんだけど、でもかならず3人でのプレイは続けるようにしているんだ。 

PCI:ジミー・ジョンソン、ビル・バーグとの3人の演奏はあなたのホームバンドみたいなもんですね?

Wayne:その通り。この3人でやる時は一番リラックスできるし楽しめるね。同じメンバーでこれだけ長く続くのって珍しいかもね。今回のロスでのギグでは後2人、キーボードはドン・グルーシン、バイオリンはチャーリー・ビシャラットが一緒に演ってくれるんだ。


サンディエゴでの活動

PCI:ジミー、ビルとの演奏活動、マンハッタン・トランスファーとの演奏、それ以外にはどんな活動をされてますか?

Wayne:サンディエゴで曲を作る為に新しいバンドで活動を始めた所。 ジミーとビルとしょっちゅうプレイする訳ではないんで、せっかく、曲ができても、演奏するチャンスが少ないんだよ。でもそのサンディエゴのバンドのおかげで新しい曲を作っても、実際にすぐ演奏できる様になった。サンディエゴにもいいジャズクラブがいくつかできたんだよ。綺麗な町だし、一度見においでよ。ビーチにも近いし。 

(ギターアンプのセッティング完了。 弾きまくる。)

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PCI:いつも、MATCHLESS のアンプを使ってるのですか?

Wayne:今の所このアンプが一番気に入ってるね。 

PCI:でもこのメーカーなくなってしまいましたよね?

Wayne:うん知ってるよ。でもこのアンプを作ってる人のことはよく知ってるんだ。リック・セコールって言って今ハリウッドに住んでるよ。

PCI:CDなんかでシンセギターも弾いてみえますね。

Wayne:そう、シンセギターはよく弾くし、またアコギも最近凝ってるよ。カナダのルシアのラスキンって奴が作ったやつ。音もいいし、デザインもクールなんだ。2本持ってるけど、一本はバレエ・ダンサーのやつで、もう一本はヘッドストックが魚の「マス」になっているフィッシング・デザインのやつだよ。 

PCI
:ベテランだけあって、色々なスタイルのギター、テクニックで楽しませて頂けそうですね。 本番の演奏楽しみにしています。

(そこへ、ジミー・ジョンソンとドン・グルーシンがやって来る。 みな、なんかとても楽しそう。 本当に気のおけない仲間だけの演奏で和気あいあいという感じ。「ロボトーク」を大変気にいってくれたみたい。カフェ・コーディエールでの本番が本当に楽しみです!)

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旧友ジミー・ジョンソンと
手にしているのはすっかりお気に入りのRobotalk

投稿者 pcij : 22:05

PCI JAPANインタビュー#5(Don Roberts)

Don Robertsインタビュー
日時:2000年10月19日
場所:Don Robertsの自宅(Studio City, Los Angeles, California)

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<ドンロバーツは今年55才で長年マンハッタントランスファーやブライアンセッツァーのバックでサックスを吹いていたロスでは名のしれたプレイヤーである。 大の日本びいきで奥さんも日本人。 家には日本風呂まである。>

PCI:それでは、インタビューを始めさせて頂きます。 我々のホームページに、アメリカのミュージシャンの裏話を載せたいと思っています。 その一人として選ばさせて頂きました。 ざっくばらんにお話を聞かせて頂けると有り難いです。

Don:実は、1月か2月にブライアンセッツァーと一緒に日本へツアーに行くんだよ。

Yuko(ドンの奥さん):ちょっと待ったぁ~! そんなの一言も聞いてないわよ!

Don:マジ!? 言ってなかったか? 2週間ほど、ブライアンと日本でコンサートあるんだ。 言ったはずだけどなぁ~

Yuko:いいえ!聞いてません!!

PCI&Don:(大爆笑!!)

Don:じゃー東京でブライアンを紹介するよ。 日本でブライアンセッツァーって人気ある?

PCI:今でも人気ありますよ。 日本ではどんな所でコンサートをなさるんですか?

Don:大阪では2000人は入るような場所でやるんだ。 マンハッタントランスファーとやっていた時もよく日本へ行ったよ。 そこでYukoと知り会ったんだ。

PCI:ブライアンセッツァーのことを教えて下さいますか?

Don:彼は50年代が本当に好きなんだ。 車は6台持ってるけど全部50年代の車だよ。 まったくギターにエフェクターなんか使わないかもね。 アンプもフェンダーの古いやつだしさ。 チューブアンプのいいの見せたら喜ぶだろうね。 東京で是非一緒にまた会おうよ! 日本でのスケジュールは彼のホームページを見れば判るよ。 

(以下URL)http://www.briansetzer.net/tour_main.html

Don:今、ミュージシャンについてのエッセイを書いてるんだけど、マンハッタントランスファーのエピソードで面 白いのがあるんだけど、聞きたい?

PCI:是非お願いします。

Don:マンハタントランスファーとヨーロッパのツアーに行った時の話しだ。 ある日、山の上にある野外レストラントに行って、そこでポーク料理を食べたんだ。 ロードマネージャーは女性だったんだけど、『可愛そうなブタさん』と言ってたよ。 そして、ホテルに帰った。 その晩、電話があると言われてフロントデスクに行ったら間違いだった。 ちょっと不信に思った。 次の朝起きてトイレに行ったら、ブタの頭が便器に置いてあって、僕の方をジッと見ていた。 あの時はびっくりしたよ。 昨日の夜、メッセージを聞きに行ったスキに誰かが仕組んだんだろう。 ロードマネージャーとシンガー二人、ジャニスとシェリルがやったに違いない。 それで僕はブタの頭をタオルに包んでバッグに入れて、マンハッタントランスファーのメンバーやスタッフに『僕の部屋になにか忘れ物をしたか?』と聞いて回った。 みんな知らないと言う。 メンバーに聞いてもみんなとぼける。 うまく打ちあわせしてたもんだよ。 ここにその忘れ物があるよとバッグを見せても、みんなとぼけるんだ。 それから僕はそのバッグを持ち歩いたんだ。 飛行機に乗ってる時も、車で移動してる時もずっと持ち歩いていた。 それから1週間以上が経った。 僕がブタの頭を持ち歩いていることを、みんな知っているはずだった。 ある日、ロードマネージャーがたまり兼ねて、『ブタの頭を1週間も持ち歩いてたの!?』と言った。 『僕は君たちになにか忘れ物をしたかとは聞いたが、ブタの頭を持っているなんて一言も言わなかったぜ。 やっぱり、君が犯人か~』 と言ったら、彼女はハッとして『しまった』と言った。あの時は面 白かったなぁ~

実は本当は、ブタの頭は持ってなかったよ。 マンハッタントランスファーとはこんな馬鹿をやる間柄だったんだよ。 今でもいい友達さ。

PCI:たいへん面白いお話ですねぇ~ マンハッタントランスファーと言えば15年ほど前にBoy from New York City, Twilight Zoneが大ヒットしましたよねぇ~

Don:そう。これはジェイグレイドンがプロデュースしたんだ。 彼ともよく仕事をしたよ。

PCI:マンハッタントランスファーとはどれくらいプレイされてたんですか?

Don:15年やったよ。 10年前にやめて、ブライアンとか、別 の人達の仕事が増えたんだ。 

PCI:マンハッタントランスファーとの仕事が最初のプロとしての仕事だったんですか?

Don:いやいや、もっと前だよ。 ティーンネージャーの時にサーフバンドで吹いていたんだ。 Bulcanes という名前のバンドで、『キャピ トルレコード』からレコードも発売されたんだよ。17才の時だった。 それからジャズのビッグバンドでも吹く様になり、しばらく両方やってたよ。 

PCI
:このスタジオシティーで生まれ育ったっんですか?

Don:そうだよ。 でも一時しばらくシカゴへ行って、『CHICAGO』とプレイをして、ツアーに行ったり、レコーディングにも参加したんだ。 でも、僕の名前はその頃載らなかったなぁ~ 

PCI:シャドーミュージシャンですね?

Don:そう。 助っ人で色んなバンドで吹いたよ。 トムスコットもその頃、僕と一緒で助っ人をしていたよ。 

PCI:レコーディングエンジニアで、我々の友人のケンジナカイもトムスコットと一緒に仕事をしてますが、ご存知ですか?

Don:うん、よく知ってるよ。 それから、ケニーロギンスやエルヴィスプレスリーとも数年一緒に仕事をしたよ。 9年前からは、ブライアンセッツァーとの仕事が多くなり、日本にもよく行く様になった。 レコーディングもいつも一緒さ。 

PCI:ジェイグレイドンとも古くからのお友達ですよね?

Don:そう。 ジェイとは大学で一緒にバンドで演奏してた。 マンハッタントランスファーと仕事してる時も、プロデューサーとしてのジェイと一緒によく仕事をしたね。 家も近いんで良く会うよ。 

PCI:このスタジオシティーには有名なミュージシャンがたくさん住んでるんですねぇ~

Don:そうだね。 ほとんどみんな知ってるよ。 ロサンゼルスはやっぱり音楽で仕事をするには大きなマーケットだからね。 ただ、ジャズミュージシャンはナッシュビルやニューヨークに多く行ってしまったね。

PCI:現在はブライアンセッツァーとの仕事がメインですか?

Don:イヤ、それだけじゃなくて、ジャズミュージシャンがレコーディングでサックスを吹いてくれと言うんだったらいつでも行くんだよ。 なんせ、 すごい助っ人サックスプレイヤーだからね! 有名でも無名でも本当のジャズの演奏、レコーディングであれば、助っ人やるよ。 

PCI:日本へは、年に何回行かれるんですか?

Don:年に1回は行くよ。 一緒にやるミュージシャンによってお客の反応が全然違うね。 マンハッタントランスファーの時は静かだけど、ブライアンセッツァーの時はワイルドなんだよ。 まるで、ヘビーメタルロックの観客みたいだよ。 でも、こっちのロカビリーファンは静かなんだよねぇ~  最近の日本のロカビリーファンは変わってきたと思うよ。 すべての面 で日本は大きく変わってきたのかな。  でもI love Japan! 特に、日本食は大好きでソバは毎日食べるよ。 でも、おでんはあまり好きじゃない。 アメリカのミュージシャンには日本を好きな連中も多いし、ビジネスとしても、日本は重要なマーケットなんだ。 みんな、日本の変化には興味を持っているよ。

PCI:日本のミュージシャンも、アメリカのミュージシャンの動きにたいへん興味を持っています。 我々が双方の掛け橋になることができれば、ありがたいですね。 

Don:そうだね。でもレコードを買う時、例えば、マイルスデイビスやジョンコルトレーンの場合、音楽を気に入って買うというよりも、彼らのルックスや、イメージで買うお客さんがたくさんいると聞いたことがあるよ。マーケティング戦略も重要な要素だね。

PCI:そうですね。 最近日本ではラップがはやってますが、アメリカのラップとは異なり、日本独特のイメージがマーケティングされてる様ですね。 

Don:僕はアメリカで黒人音楽としてラップが誕生してから知ってるけど、ずいぶん変化してきたよね。 今やたくさんの白人ラッパーですばらしい人達がいる。 

PCI:そうですね。 ジャズでも最初は黒人音楽だったんでしょうけど、デビッドサンボーンやトムスコットなど今や関係無いですね。 でも日本ではこの二人はジャズというよりもイージーリスニングの様なイメージがあるんですがどう思いますか?

Don:僕はトムスコットと一緒のハイスクールだったんだけど、彼は「Tribute to コルトレーン」というアルバムを出している。 60年代に彼はもっと人気が出るサックスの吹き方を編み出した。 彼は頭がいいから売れる音楽がなんなのか判ったんだろうね。 それからジャズはどんどん変わっていき、僕が若い頃聞いたのと、今のジャズとはだいぶ違うよね。 でも60年代はサックスプレイヤーにはみんな個性があったよね。 今は誰もが同じサウンドを出す様な気がする。 マイケルブレッカーとデヴィッド・サンボーンは素晴らしいプレイヤーだけど、残念なのは、皆が2人のコピーばかりすることだね。誰のプレイを聞いてもみんなブレッカーかサンボーンみたいなんだよ。プロデューサーの意向やマーケティングの方針が優先して同じになってしまったんだと思う。 

PCI:あなたの目からみると、それらはもうジャズじゃないですよね?

Don:そうだね。 ジャズで一番大切なことはインディビジュアリティーなんだよ。 今のサックスの音を僕は『ハッピーサキソフォン』と読んでいる。 同じ音、同じのり、同じ音符さ。 ジャズとは言えないね。 でも生活するためにやらなければならないんだろう。 だから、グレートなミュージシャンはみんな貧乏で、レコードを出せない。 それで、そういうジャズミュージシャンは活動の場所を求めて、ニューヨークへ行ってしまったんだ。 

PCI:あなたが影響をうけたミュージシャンは誰ですか?

Don:ジョンコルトレーン、スタンゲッツなど50年代のあの頃のみんなから影響受けているよ。  彼らみんなお互いに影響しあってジャズが発展したんだ。

PCI:今のミュージシャン達との違いは何ですか?

Don:音楽だけでなく精神的な影響を皆に与える強烈な個性、特徴があった。 宗教みたいなもので、私の言う本当のミュージシャンというのは、ミュージシャンらしくないことかもしれないね。

PCI:なるほど。現在活躍しているミュージシャンで敢えて気に入っている人を選ぶとしたら誰ですか?

Don:サックスでは、マイケルブレッカー、ジョージコールマンとスタンリーターンティンだね。それからトランペットのチェットベーカー。 自分のスタイルを持っているよ。 音を聞けばすぐ彼だと判る。 ギタリストでは、ジョーパスかな。やはり自分のスタイルを持ち続けているブライアンセッツァーはすごいね。 少なくとも長い間ロカビリーのファンを持ち続けている。 最近では音楽はどんどん変わっていき、使い捨ての時代になっているので、本物が生き残るのが難しくなってきたよね。

こんな話は音楽産業にいる皆さんにとってはつまらないかもね。 

PCI:いえ。本音を聞かせて頂いて有り難いです。 我々はアメリカのミュージシャンの生の声をできるだけ正確に日本へ伝えていこうと思っているので。

Don:それと私はサックスプレイヤーなので、ギタリスト、リズムセクション、キーボードなんかと比べると別 の世界にいるかもしれないね。 日本へ行くと、ギタリストやベーシストはよく目立ち、商売になるのでいろんな業者から楽器を送ってきたりそりゃ大変だよ。 音楽活動と直接関係無いビジネスに巻き込まれてしまう様だね。 ブライアンやマンハッタントランスファーと日本へ行くと、ギタリストやベーシストは15本も新品の楽器を寄付された事もあった。 僕なんかサウンドチェックで僕のサックスはどこだ、て聞いてもどこにもありゃしない。(笑)

PCI:そうやって日本の業者からもらった大量のギターやベースは、皆さん日本離れても使われるのですか?

Don:もちろん使わないよ(笑)。 クローゼットに山になるだけだよ。 もったいない話。

PCI:サックスは何を使ってみえるのですか?

Don:ずっとセルマーを使っているよ。 だいぶ古いので、ペイントしなくっちゃいけないんだろうけど、音が変わっちゃうのが怖くてやってないんだ。 金をかけてペイントかめっきし直して音が変わってしまったら大変だから。 いっそ金メッキにして、物としての価値を上げれば、もし音が変わって使えなくなっても、高く売れるかもしれないのでそうしようかな。(笑) 最近の製品は音が変わった。 製品の何がどう違うかは判らないが、昔のセルマーの音が気に入っているので、みすぼらしいけど、古いのをずっと使っている。 ホーンは空気を動かして音を出すのでずっとまだアナログだよね。 デジタルではまだ本当のホーンのサウンドは作れないだろうね。 コンピュータとデジタル技術によって、誰でも、自宅でCDを作れる様になったのは皆に表現のチャンスができて素晴らしいことだけど、それで本物のサウンドを出すミュージシャンが生き残れなくなっていくとしたら寂しいね。 ニューヨークのタワーレコードには1千万枚のCDの在庫があるそうだよ。 本物を探すのが難しくなったかもしれないね。 それでますます、レコード会社はCDを売るために、音楽そのものより、キャンペーンやイメージで需要を創りだそうとするんだね。 そういう商業主義に巻き込まれたくない本物のミュージシャンもたくさんいるんだよ。 いい音楽には人種も年齢も性別 も関係ない。 少なくとも我々アメリカの本物プロミュージシャンはそういう目で見ている。 日本人だって、女性だってジャズファンを魅了するミュージシャンが出てきてもおかしくないし、そういう時代が必ず来ると思うよ。

PCI:フランクに話して頂き本当に有り難うございました。 今度はブライアンセッツァーと一緒に東京で会いましょう。

投稿者 pcij : 21:34

2018年9月 9日

PCI JAPANインタビュー#4(Jay Graydon)

Jay Graydon インタビュー
2000年10月27日 8PMより1時間(ドンロバーツの紹介でミーティングが可能となる。)

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PCI:ご自宅にこんな立派なスタジオがあるのには驚きました。器材も豊富にありますね?

J:僕のウエッブサイトを見てくれたら、どんな器材を使っているのか詳細に判るよ。 http://www.umu.se/users/KEO/graytxt.htx

話は変わるけど、トシ・ナカダって知ってるかい? Jay Waveのディスクジョッキーだよ。彼は、世界中のポップミュージックの紹介する番組を持ってるんだ。 彼は、世界中のミュージシャンのことに詳しいから、一度話を聞いてみるといいよ。 OK。 じゃー、何でも聞いてくれ。

PCI:有り難う! じゃあまず、どんな仕事をしているかを教えてください。 実際今は何をやっているんですか?

J:この話はまだ誰にも話していないんだけど、実は今、自分の新しいアルバムを作ってるんだ。 本当のジャズだよ。 50年代、60年代の、本物のビーバップだぜッ! バンドは僕が自分でギターを弾き、ブランドン・フィールズがサックス、デイブ・ウィッケルがドラム、デイブ・カーペンターがベース、ビル・キャントスがピアノ。 ビル・キャントスは僕の昔からのポップミュージックのレコーディングにも参加してくれていたけど、ジャズも弾けるんだよ。 このメンバーは、ビーバップで生活してるヤツは一人もいないんだよ。 でも、ビーバップをやらせるとみんな上手いんだよね。 まだ、レコードをどうやってリリースするかは決めていない。インターネット経由で売るかもしれない。 でも、ビーバップのアルバムでは儲からないよね。 出来は絶対いいから、僕のファンは喜んでくれると思うんだけど、ジャズのアルバムはあんまり売れないんだよね。 これは、僕自身のためにやるみたいなもんだね。 今まで沢山のレコードを作ってきて、どれも一生懸命やってきてクオリティーは高いと思うけど、今回のレコードは自分がとにかく作りたいからやるんだ。 何年前か忘れたけど、僕は自分でジャズギターを弾いていた。 その後、ポップスやR&Bのレコーディングやプロデュースをやるのに手が一杯で、ジャズをやる時間がメッキリ減ってしまった。ポップスやR&Bを演奏するのは同じ音楽だから、確かに楽しいよ。 でも、僕が本当に自分らしく作れる音楽はやはりジャズしか考えられない。 今回、このアルバムを作ることでやっと、僕の本当の夢が叶えられる。  それがたまらなく嬉しいよ。いや~今までがんばってきたかいがあったよ! 本当のビーバップができるんだ。 それと、レコーディング技術の本を3年前から書いているんだよ。 12冊のシリーズになる予定で、最初はベースのレコーディングで、2冊目はギターのレコーディングに関する本だ。まだ、正式の本のタイトルは決めてないけどね。 最終的には全ての楽器のレコーディング技術を網羅する予定で、ものすごく内容は濃い物になるだろう。 多分あと半年くらいで完成すると思うよ。 これらの本は日本語にも翻訳される予定だ。 日本語に翻訳されると、本のページ数が増えるかもしれないね。 あんまり日本語の翻訳が使いにくいといけないので、英語のオリジナル版はWEBに載せて読む人にもっとよく理解してもらうことにしようとも思っている。 日本の出版社とも話してるけれども、本当にレコーディング技術に詳しい人が翻訳してくれるといいけどね。 それから、ポップミュージックのプロデュースもやりたいと思っている。 それと、ギターソロをまたやってみたいと思ってる。

PCI:それは、みんな日本のファンは待ち望んでると思いますよ。

:日本のミュージシャンやプロデューサーがロスで録音する時に、僕のギターソロを使いたいと言うのなら、僕は喜んで引き受けますよ!

PCI:それは素晴らしい! 我々の知り合いの日本のミュージシャンによると、あなたのギタープレイ、作曲とプロデュースすべてが特に80年代の日本の音楽に大きな影響を与えたとのことです。 特に、アース・ウィンドアンドファイヤーの『アフターラヴイズゴーン』の美しいメロディー、エアープレイのプロデュース、マンハッタントランスファーの『エクステンションズ』、アルジャローの『ジャロー』、マークジョーダンの『私はカメラ』、それとスティーリー・ダンのエイジャの中の『PEG』のソロ。 あなたは弾いても弾かなくてもすごいんですよね。

:ありがとう! それらはデビッドフォスターと一緒だからできたんだよ。 デビッドは音楽に関しては天才だ。 作曲家としては彼の方が僕の上を行ってると思うよ。  僕も沢山曲を書いたり、アイディアを出したりしたけれど、デビッドの方が、大きな影響を与えたと思うよ。 とにかく、デビッドと一緒に新しい音楽を作って、あの時代の音楽シーンに送り込んだんだ。

PCI:80年代には日本のミュージシャンの多くの人は、あなたのプレイをコピーし、プロデューサーはあなたの音作りを参考にしたと聞いています。

:それは有り難い。 ギターソロとしても、あの頃はよくスタジオでプレイしたよ。 いい仕事としてよく覚えているのは、『PEG』、マーハッタントランスファーの『トワイライトゾーン』、それとエアプレイでのソロかな。 僕は、スタジオプレイヤーとして、プロデューサーとして、作曲家として、それぞれいい仕事をしてきたと思う。 でも、それぞれの仕事がほかの誰よりも、飛び抜けて上手いというわけではなかったと思うがね。 僕より優れたスタジオプレイヤーは沢山いるし、優れたプロデューサーも沢山いるし、また優れた作曲家も沢山いる。 そんな中で、その3つを僕はそれなりにやってきたと思うよ。 

PCI:この3つの中で、あなたが一番気に入ってるのはどれでどの作品ですか?

:それは選ぶのは難しいよ。 僕の作った作品は自分の子供の様に思っている。 自分の愛しい子供から一人を選ぶなんてことはできないよ。 僕の作った音楽をよく聞いて欲しい。 簡単に出来たように見えるかもしれないけど、ものすごく時間をかけて作ってるんだ。 沢山のテープとトラックが何度もやり直されて、ミックスされている。 僕は細かい性格だからねぇ~(笑)

その場のフィーリングも大切にするけど、録音された音が最高じゃないと気がすまないんだ。 そして、急いで作り上げるんじゃなくて、音作りの過程をじっくり楽しみたいんだ。 プロの音作りはこうあるべきだと思わないかい?

PCI:あなたの音楽は自然で、堅苦しくなく、かつ完成度が高いということですか?

:堅苦しくないよ、決して。 いいフィーリングで作り、完成度も高く、そして演奏自体も楽しんで、本当に良い音を出しているんだ。 ただ、それは短時間ではできないんだよ。 シンガーやプレイヤーにはいい音が出るまで何度も何度もやり直させるので、嫌われてるのかもしれないけどね。 レコードはリアルタイムではない。 コンサートでも、セッションでもない。 レコードは永遠に残るので、全身全霊をかけて最高の音を作り上げたい。 レコードというのは今聞いても、これから何十年たっても、いい音はいい音として残る。 昔、デイビッドと作った音楽は何回聞いてもいい音楽だ。 きっと、これからも変わらないだろう。

PCI:レコードを買ってくれる人のことを考えて作ってるんですね? 

:もちろん、それと自分自身も納得する音でなくてはならないと思っている。 僕は完ぺきでないと気が済まないんだ。 いいフィーリングでレコーディングができ、なおかつ納得の行く音でないといけないんだ。 

PCI:ここであなたの過去について聞かせてください。 いつどこで生まれて、いつから音楽を始めたんですか?

:僕はこのサンフェルナンドバリーで生まれて、今までここから10マイル以上離れたところに住んだことがない。

PCI:じゃ~ あなたを紹介してくれたドンロバーツと一緒ですね? 

:そうだよ。 もうドンとは30年以上の付きあいで、同じ大学にも行った。 ドンは若いころサーフバンドでサックスを吹いていて、一緒にクラブで演奏したこともあるよ。 家も近いしね。 ドンは僕より4っつ年上だ。 ちなみに僕は51歳。 二人とも誕生日は10月なんだ。 ドンの奥さんは日本人で有子って言うんだよね。 大阪出身の頭のいい医者だってね。 僕は14歳のころにギターを始め、この辺でプレイをしていた。 実はその前はドラムをやっていたんだよ。  高校へ入ってからも、ギターを弾いていたんだけども、バンド仲間の大学生が、ビッグバンドで弾いてみないかと誘ってくれたんだ。 その時初めてジャズのリハーサルを経験して心底好きになったんだ。 だけどその時はジャズなんか全然弾けなかった。 それから一生懸命練習したよ。  

PCI:じゃあ、本格的なあなたの演奏活動はジャズが最初だったんですね?

J:いや、ジャズなんてまだまだ全然弾けなかった。 だから、バンドでは、ロックンロールをやっていたよ。 ロックンロールバンドで小遣いを稼ぎ、大学へ行ってから、ビッグバンドでジャズを弾くようになったんだ。 ドンが仕事を見つけてくれたんだ。 この辺のたくさんのナイトクラブで演奏しまくった。 その時にデビッドフォスターの様なミュージシャンと出会うことになったんだ。 しばらくして、ディーンパークスがスタジオでプレーしてみないかと誘ってくれたんだ。

PCI :それがスタジオミュージシャンになるきっかけになったんですね?

J:そう、ディーンパークスが僕の人生を変えたんだ。 それから、雪だるまのように仕事が増えていった。 スタジオプレーヤーとしていい仕事をしたんで、どんどん仕事が来た。 来る仕事は何でもやった。 70年代後半からプロデューサーの仕事も始めた。 1979年にエアプレイのアルバムをデビッドフォスターと作った。 それからは本当に忙しい時代が続く。 そして1990年にはプロデューサーの仕事をストップした。 本当に長い間忙し過ぎた。 この10年は実際大きな仕事はほとんどしていない。 1993年にソロアルバムを作り、その後日本へツアーへ行って、94年95年にフォスターと少し仕事をしたくらい。 朝起きて自分のしたいことをするってのはいいもんだよ(笑)。  金も貯めたし、この屋敷のローンも残ってないし。 これまでの話はこんな所かな。 そして今新しいジャズアルバムを自分でプレイもして作るのを頑張っている訳。 そしてプロデューサーとしての仕事も再開する。 特に日本のアーティストのプロデュースに興味があるので、僕の話を日本で紹介するのなら皆に言ってほしい。 でも日本の大物アーティスト、プロデューサーだけだよ、聞いたことも無い人はダメ(笑)。 例えばTK(小室) とかね。 

PCI:活動開始ですね。 TKはよくロスに来るんですか?

J:よく来るらしいよ。 でもいつもすれ違いでまだ会ったことは無いんだ。 日本の大物プロデューサー、アーティストとは是非会いたいね。

PCI:ところでバリーアーツのギターは使ってみえましたか?

J:何台か使っていたよ。 ストラトタイプのいいギターがあった。 修理しなくちゃいけないけど。 バリーアーツにいたダッドリーギップルが持ってきてくれたギターだ。 本当にいいギターだけどネックが曲がっちゃって彼に直してもらわなければならない。 彼はミュージックマンでギター作っているよね。

PCI:同じくバリーアーツに居たドングローシュという人のギターを知ってますか?

J:いや。知らない。 どんなギター?

PCI:バリーアーツスタイルのカスタムメイドでビンテージサウンドギターといったところです。 8年前に自分で会社をスタートして日本でも人気が出てきています。

J:一度是非試してみたいね。 僕の望むゲージを言っておくよ。9、11、14、22、34、44だよ。 それと、弦高の高いのがいい。 低いのはダメだよ。

PCI:了解しました。 今度気に入ってもらえそうなギターを持ってきます。 さて、次にスティーブルカサーとの関係を教えて頂けますか?

J:親友の一人だよ。 僕がプロデューサーとして仕事を始めた時に彼の起用を推薦したんだ。  彼はスタジオプレーヤーとしては、1年位 しか仕事しなかったね。 だってTOTOがすぐ爆発的に売れたからね。 僕の弟みたいなもんだよ。

PCI:あなたが彼をスタジオプレイヤーとして推薦したんですか?

J:そうだよ。でもしてもしなくても、素晴らしいプレイヤーだからいつかは成功したと思うよ。 僕が背中をちょっと押しただけさ。 

PCI:彼をスタジオプレイヤーとして推薦された時、彼は何歳でした?

J:18歳だったと思うよ。 1977年か78年だったと思う。 素晴らしいギタリストだった。 彼の成功を少し早めることはできたかもしれないね。 売れるタイミングも良かったね。 スタジオプレイヤーとして仕事を本格的に始めると、実際のライブでのプレーがファンには見られなくなってしまうからね。 スタジオプレイヤーというのは野球選手みたいなもので、新しいプレイヤーとどんどん入れ替えるんだよ。

PCI:その他最近興味のある、あるいは注目されているアーティストはいますか?

J:ジャズのボーカリスト、ピアニストとしてダイアナクロル(Diana Krall)がいいねえ。 彼女のピアノは最高だよ。 ギターもたくさんいいプレイヤーがいるね。 マークホイットフィールドを始めとして名前思い出せないけどジャズギタリストには無名でもいいプレイヤーがたくさんいるね。 正直な話、ジャズプレーヤーで好きな人多いんだよ。 はっきり言ってポップのプレーヤーはどうでもいいんだ。 ジャズプレイヤーと一緒にプレイをして、本当に好きなジャズが今は楽しめるんだ。 生活のためにポップミュージックを聞く必要はもうなくなったんだよ。 ポップミュージックでは器材とプロデューサーが売れるための音を作るんだよ。

PCI:それで今回本当に自分の好きなジャズアルバムを作っているんですね?

J: そう、このアルバムは本当に自分の好きな音楽を追及したものなんだ。 時間はかなりかけているが、本当のギターの音で、アンプ、コンプレッサー、エフェクターを一切使わないんだ。 これは大変難しいことなんだ。 ポップミュージックをやっている人達にもたくさん友人はいるが、やっぱり今はジャズを聞いている。 たださっきも言った様にこれから有名アーティストと、仕事としてポップミュージックのプロデュースの仕事を再開したいとは思っている。

PCI:使用されている器材で最近お気に入りのもは何ですか?

J:リベラのアンプがいいね。 Lake HeadとJay コンボをいつも使うよ。 それとギターはBossaをまだ使っているよ。 どこがいいか教えてあげるよ。  僕はフェンダースケールよりギブソンのショートスケールが好きなんだ。 だからミュージックマンのダッドリーへ今持ってるバリーアーツのギターも直してもらうよ。  

PCI:フロイドローズを気に入っているんですか?

J
:トレモロバーを使わないけど気に入ってるよ。 このBossaギターはジャズのレコーディングに使うんだ。 色々なギターを試したけど、これほど僕にぴったりくるものは見つからなかった。 このギターにしても偶然にぴったりのができたのかもしれないね。 ネックがボディーに近い所までは真っすぐで、ボディーに近い所で徐々にスロープダウンしているんだ。 だから高いフレットの所でのプレイがやりやすいんだ。 この時フロイドローズのシステムがギターのチューニングを最もよい状態にロックして保ってくれるんだよ。

PCI:バジーフェイトンチューニングについてはどうですか?

J:ああ使えるよ。 ダッドリーに教えてもらった。 ただチューニングが面 倒だから僕のギターには使われてないけど。

PCI:バジーもスタジオプレイヤーとして仕事してましたよね?

J:そう。彼はいいギタリストだった。 でもあまり忙しくは無かった様だね。

PCI:スタジオプレイヤーと言えば、ディーンパークスはどうでした。 長い間プレイしてますよね?

J: 彼はすごいね。 今一番うまいアコースティックギタープレイヤーかもしれないね。 本当に味のあるプレイをするね。 才能あるし、また彼はサックス吹かせてもすごいんだよ。

PCI:Bossaのギターの話に戻りましょうか?

J:そうそう。 このピックアップを見てくれ。 ハンバッキングでストラトの様な音が出せるんだ。

これは素晴らしいよね。

PCI:その他コンプレッサーやエフェクターなんかは何を使ってるんですか?

J:スタジオでは通常僕はアンプのスピーカーを使わないんだ。 一切アンプのためにエフェクターは使わないんだ。 ギターの音は全てマイクから直接コンソールへ送られ、全てのエフェクトはコンソールでやるんだ。 アンプやスピーカーの性能にあまり影響されたくないから。

PCI:それでは、チューブダイレクトボックスなんかは要るんではないですか?

J:それは必要だね。 持っていたら是非テストさせてほしい。これは大至急ほしい。モノを2台用意できる? ここ数日後にあるレコーディングで是非試したい。

PCI:Demeterのモノチューブダイレクトボックスを2台至急手配しましょう。 それから今日はZ Vex, Robotalkなどのエフェクトペダルをいくつか持ってきました。これらはどうでしょう?

J:これらもおもしろうだね。 試してみるよ。 その他、チューブアンプ(Dr. Z)やチューブエフェクター(SIB)などでもおもしろいものを扱っている様だね。 是非一度試させてくれると有り難い。

PCI:了解しました。 これからも色々と情報交換を続けましょう。 今日は本当に有り難うございました。 
 

投稿者 pcij : 23:53

2018年9月 7日

PCI JAPANインタビュー#3(佐野ケンジ)

佐野ケンジ インタビュー
2000年12月14日
場所:Shermen Oaks(ロサンゼルス)のケンジさん自宅近くのカフェ、Marmaladeにて

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<<カラパナや安室奈美恵のバンドのベーシストとして、またプロデューサーとして活躍中の佐野健二さんに近況、大変面 白い話をお聞きしました。>>

PCI:もうロスに来られて何年になるんですか?

ケンジ:28年になります。 アメリカの大学を出て、ずっとロスにいます。 仕事は今日本とアメリカを行ったり来たり。 月に一回は日本に行ってるんですよ。 

PCI:カラパナに入るきっかけを教えて下さい。

ケンジ:俺とハワイのマウイから来てるヤツが大学行ってる時にバンドやってて、その時にマッキーがクビになって一緒にやることになったんですよ。 それからはマウイに帰って、オリジナルのカラパナがパンクした時に俺たちがカラパナをやることになったんですよ。 俺たちスッゲー受けて、それで本格的にハワイとロスで活動開始したんですよ。 

PCI:それはいつのことですか?

ケンジ:1980年だったね。 

PCI:活動は主にハワイだったんですか?

ケンジ:そうです。 でもロスでもゴールデンベアっていうとこでやってたんですよ、古い話なんですが。 ボブディランとかがやったライブハウスなんですけど。 そこで5日間ソールドアウトだったんです。 そんでこれ行けるなって感じで、あいつらしょっちゅうケンカしてたんで、もうちゃんとアルバム作ってツアーをやろうってことにしたんですよ。 まさかそれから18年も続けるとは思わなかった。 信じられない。 今色んなとこから話が来るんですけど、カラパナのメンバーみんな結構ほかでも忙しいんです。 ゲイロードってヤツはスタジオのマネージャーやってるし、リードギターのヤツはエンジニアの仕事が忙しいし。 

PCI:皆さんロスに見えるんですか?

ケンジ:イヤイヤみんなハワイ。 僕とマイケルパウロだけロス。 マイケルはずっとアルジャローと10年くらいやってて、ソロも6枚目。 WAVEなんかではしょっちゅうかかってますよ。 

PCIジェイ・グレイドンとの付き合いはいつ頃からなんですか?

ケンジ:僕がカラパナのプロデュースしたり、日本のアーティストをプロデュースし始めた頃に、彼の家のあのスタジオを使ったんですよ。 使いやすいし、ニーブの卓が好きだったんですよ。 彼、ニーブのいい卓持ってて、それで知り合って、意気投合したって感じで。 んで~ 彼レイジーなんですよ、凄いね。 頑固だし、レイジーだし。 僕がしょっちゅうセッションやってた頃、「何でジェイは演奏しないんだ?最近??」みんな僕に言ってきて。 僕が友達だと言うことで。 やりたくないんじゃないかなぁ~ って話してた時に、7、8年前かなぁ~ ツアーやろうやって言ったんですよ。 で、やろうやろうってことになったんですよ。 でも、エアープレイってのはやらない。 ジェイグレイドンのコンセプト版をやろうと。 だから、ギター弾きまくりじゃなくて、彼の書いた曲とかでいいメンバー集めてのコンセプト版をやろうということになったんです。 

PCI:そうですか。 日本もジェイと一緒に行かれてますよね。

ケンジ:そう、一緒にツアー、日本とヨーロッパ2回やりました。 たいへんですよ、彼とツアー行くの。 わっがまま言い倒すから! ほんと、変人ですね。 初っぱなのツアーの時もステージの上に洗面 器が欲しいって言うんですよ。 ソロやる前に手、洗わないといけないんですよ(笑) 

PCI:演奏中にステージの上で手を洗うんですか??

ケンジ:そう、ステージで。 「だからおまえそんなことできる訳ねぇ~だろ!」って。  ステージに水道なんかないんだし、しかたないから洗面 器とタオル置いといたんですよ。 で、ステージの上でソロの前になると手を洗ってんだよ。 

PCI:ジェイはもともとライブの人じゃないんですかねぇ~?

ケンジ
:そうなんですよ。 セッションマンだから、まぁー70年代のセッションマンのギタリストと言えばジェイグレイドンでしょう? もうプレイは凄いですよ。 ただ、ツアーに出るのは少なく、まぁ~たいへんだったんですよ。 そして、なんでか皆僕に文句を言ってくるんですよ。 「I'm just a bass player!」って言っても、カラパナの時もバンド仕切ってたし、ジェイの友達ということで、周りの人みんなの文句が僕に集中するんですよ。 セッションなんかも彼全然やりたがらなかったんですけど、無理やりこう「このプロジェクトでやれ!」とか言って、やり始めたんですよ。 90年代の前半の頃ですね。

PCI:ということは、ジェイが活躍した後、しばらく休んでいたのを90年代前半に引っ張り出した張本人はケンジさんなんですね?

ケンジ:そうです。 彼に言われますよ。 「おまえのお陰だけどまたおまえのせいでもある!」って。 (笑) ツアーの時のビデオがあると思うんで、今度お見せしますよ。 

PCI:ケンジさんは学校はアメリカで出られたんですね?

ケンジ:そうです。大学はこっちです。 東京のアメリカンスクールの高校を卒業して、それからアメリカに行ったんです。 名古屋の守山のアメリカンスクールにも3年行ってたんですよ。

PCI:どうしてアメリカンスクールだったんですか?

ケンジ:親父がイケてた人で、俺がまだ幼稚園の頃に、「日本人は英語しゃべれるのがええねん」言うて、神戸でアメリカンスクールへ入れたんですよ。 日本人なんていないッスよそんなとこ。

PCI:帰国子女ならいざ知らず、その時代に純粋な日本人がアメリカンスクールに行くのは珍しかったんじゃないですか?

ケンジ:ええもうばりばりの日本人ですから。 だから嬉しかったですね。 ひんしゅくもよく買ったんですけど。 特に名古屋で、そういうの多いんで。 近所の子供たちが変な外人って俺をイジメるんですよ。 「バカヤロ~ 日本人だ!!」ってよく言いましたよ。 土曜日学校行ってないでしょ、そして、夏休み3カ月でしょ、遊びに行く連れはみんな外人でしょ。 そう友達はみんな外人ばっかりでした。 近所の子供はみんな俺のこと見てるんですよ。 んで、いつもケンカ売られるんですよ。 その頃の名古屋はすごかったですよ。 千種の覚王山に住んでたんですけど、お祭りがあって僕が行くじゃないですか。 近所の悪ガキに囲まれるんですよ。 特に女の子たちと一緒にいると。 「Stay out!」って女の子たちに言って、それからケンカですよ。 最悪ですよ、ガキの頃は。

PCI:名古屋には何年生の頃住んでたんですか?

ケンジ:7、8、9年生は名古屋でした。 そして東京で10、11、12年と学校行ったんです。 東京ではアグネスチャンと同級生で、南沙織の一つ上。 それで、その後野球でアメリカの大学に来たんですよ。 で、そこそこ野球できたんですけど、俺の行った大学ってのが野球で有名な大学なんですよ。 ラバーン大学、70年代ではNAIAでナンバーワンになったんです。 LA から30から40分のとこなんですけど。 そして、そのうちサーフィンとか音楽の方が楽しくなっちゃって。 

PCI:楽器を引き始めたのは何歳の時ですか?

ケンジ:ビートルズを見てすぐですよ。 ですから、10歳から11歳の時。 ちなみに今45です。 

PCI:最初からベースを始めたんですか?

ケンジ:いや、違います。 最初、ビートルズ見て「俺やりたい」って感じになって、その頃ギターとかベースとかって楽器屋行ったらアコギしかなくって、エレクトリックギターっていうのはデパートで買うんですよ。 で、大丸行って、ベースとかギターとか分からず、とにかくエレキを買ったんですよ。 でも何も弾けずに、ギャンギャンやってたんですよ。 そしたら学校でバンドやってたヤツが、「おまえ、ギター持っとんやったら持ってこいや」って言ったんですよ。

PCI:それはアメリカ人なんですか?

ケンジ:いや、中国人のハーフ。 初めて話しかけてきて、3っつくらい年上のヤツだったな。 そして、そいつがアメリカ人とやってたバンドに入れてもらったんですよ。 でもその頃はベンチャーズとかやってましたよ。 で、バンドずっとやってたんですけど、あまり真剣じゃなかったですよね。 中学、高校でも、ダンスパーティーとかでやるくらいで、ちょっと女の子引っ掛けて「かっこいいだろ~」ってな感じで。 そんな程度だったんです。 

PCI:横浜の同じ世代の方たちで、ゴールデンカップスとかあの辺のバンドも中華街絡みのバンドでしたよね。 

ケンジ:ああ、エディーとかね。 エディーなんてメチャクチャ上手かったですから、おわぁ~~って見てたんですよ。 ベースのやつがいたでしょ? ルイスってやつが。 チャーなんかともやってた。 あいつが飛び抜けて上手くて、ビビってましたよ。 俺より年は一つか二つ上のはずですよ。 

PCI:ベースを始めたのはアメリカに来てからですか?

ケンジ:いや、あのねぇ~ 話すると長くなるんですけど、親父がディック峰さんとすげぇ~親友だったんですよ。 ディック峰さんの息子で、ノブヒロさんっていう人がいて、シャープファイブっていうバンドのリードギターやってた峰ノブヒロさんっていうんですけど。 メッチャ上手いんですよ、その人も。 その人がシャープファイブやってた時に、僕、居候してたんですよ。 そしてある夏、「ケンジ、おまえ一緒に仕事やろうよ~」って言われて、で、一応やらせてもらったんですよ。 で、ちょっとベース弾いてみたんです。 そしたらノブヒロさんが、「おまえベースやった方がいいよ」 「あっ、そう?」って感じで。 その時は特に何も思わなかったんですけど、こっちの大学に来てから、ハワイのやつらとバンドやった時に、5人全員ギターなんですよ。 「なんだよこれ? じゃ~分かったよ。 俺がベースやるよ。」 それでベースやることになったんですよ。 ベースは難しいって分かってたんですけど。 ドラムなしの全員ギターですよ、うるさいうるさい。 二人がエレキ、一人が12弦、一人がアコギ、そして僕がベースですよ。 70年前半ですら、フォークロックみたいな感じでした。 そして後にカラパナが現れて、一緒にやる様になったんです。 

PCI:てっきりハワイで生まれ育った、日系のアメリカ人かな?と思ってました。

ケンジ:よくそう言われるんですよ。 日本人の方のインタビューの時に、皆英語で聞いてくるんですよ。 英語で聞かれたから、英語の方がいいのかなぁと思って、英語で答えるんです。 途中で「Do you speak Japanese?」って聞くもんだから、「全然しゃべれますよ」って言うとびっくりしますよ。(笑) 「Where did you learn Japanese?」って聞くもんだから、「いやいや、僕日本人なんですよ」っていうと、「は?」ってな具合。 もっとひどいのはね、バウワウって覚えてます? そのバンドにも、佐野ケンジっていうベーシストがいたんです。 同姓同名。 ヨーロッパなんか行くと、すっげぇ詳しいやついっぱいいるんですよ。 で、聞きにくるんですよ。 「おまえはどっちなんだ?」って。 カラパナでやってる佐野ケンジのディスコグラフィー指差して「おまえコレなのか?」って。 そしてバウワウのディスコグラフィー持ってきて、「おまえこっちにも出てるのか?」って。

PCI:バウワウの佐野ケンジさんは今、どうしてるんですかねぇ?

ケンジ:分かんないんですよ。 どうされているか知りたいですね。

PCI:僕らの知り合いでも、こっちへ来て頑張っている連中結構いるんですけど、意外と日本のメディアってあんまり取り上げないですよね。

ケンジ:そうですね。 一人メッチャ上手い人いますよ、ギターで。 トシってやつ。 

PCI:ええ。我々ともたいへん仲がいいんです。

ケンジ:あっ、そうなんですか? 

PCI:あと、尾崎ジンシさんって言って、ケイコマツイさんのバンドでずっとギターを弾いてる人とか、仲いいんですけど、結構彼なんか日本に行っても紹介してるんですけど。 あまり音楽雑誌等で取り上げられないんです。

ケンジ:僕は思うんですけど、大学出てすぐすっげぇ~芸能界からよく呼ばれてたんですよ。 「おまえみたいなやつ日本にいないから」って。 それが一番いやなんですよ、日本の芸能界の。 別 に上手くもない、何にもない、ただアメリカに居たと言うだけで、えらい?ってな感じで。 そんな意味ないことをやるってのがほんと嫌いなんですよ。 こっちでなんかやって、ツアーで来日する形で、それだったら僕帰る気するけど、って言ってるんですよ。 だから、8年間帰れなかったです。 成果 でるまで。 大学行って、コツコツやってて、そしてカラパナ再結成してアルバム出して、ロスとハワイでツアーやって、で、日本でツアー決まった時に、日本に久し振りに帰ったんですよ。 

PCI:変な色付けしないで、アメリカで頑張ってみえる日本人を我々としては応援し、紹介して行きたいです。 そういう人たちをもっとアピールできれば、今の世代の日本人も、もっとこっちに出てこれると思うんじゃないですかね。

ケンジ:ほんと、そうですねぇ。

PCI:今のメインの仕事はプロデュース関係ですか?

ケンジ:今は、日本で安室奈美恵のミュージックディレクターやってるんで、ツアーと、ボーカルディレクションを仕切っているんですよ。 あと、カラパナと。 この2年間プロデュースの話来てるんですけど、タイミングが全然合わないんですよ。 話の多くが夏と春なんですよね。 春、夏と俺ツアーに出てるんですよ。 「だから秋ぐらいになんか持ってきてよ~」って言ってるんです。 秋ぐらいには奈美恵ちゃんのレコーディングとか、俺たちのレコーディングやってるんで。 来年は2、3枚はやるつもりなんですけどね。 

PCI:ベースはBOSSAを使って見えるんですか?

ケンジ:BOSSAと、レコーディングでは、メインがBOSSAでPベースも一本使ってるんですよ。 ファンキーなのはそれでやってるんですよ。 

PCI:BOSSA といえば、瀬戸崎さんとお知り合いだったんですか?
  
ケンジ:そうなんですよ。 大阪に小さいスタジオがあって、名前貸してるって言ったら大袈裟だけど、色々そこにノウハウを教えてたんですよ。 その時にセトやんと会って、「これ使うてくれへんかぁ~」って言われて。 それで気に入って、こうしてああしてって、僕のモデルを作ってくれたんですよ。 ええやつでねぇ~ 職人っていうか。 

PCI:安室奈美恵さんのプロデュースは小室さんと共同でやって見えるんですか?

ケンジ
:プロデューサーはTKです。 さっき言いました様にディレクションとかは僕がやってコーラスアレンジとかもやってます。 TKはみんなが思っているよりすごいですよ。 よく皆TKのこと誤解しているみたいですけど。 彼のダンスミュージック流行ったから、彼はほんとはピアノ弾かないんじゃないかとかさ。 ひどいこと言う人いるよね。 彼はちゃんと弾くし、違うアングルでプロデュースしてるんですね。 典型的なプロデュースの仕方じゃなくてね。 だからすごいおもしろいですよ。 彼は頭の中の自分のコンセプトをしっかり持って仕事をやるから、最終的にできるものはいいものになるんですよ。 だけど彼の場合、可哀相に、仕事の量 が多過ぎるんですよ。 本当ねえ、どう言ったらいいかな。 やっぱり誰かが売れると日本の業界ってウワーって集まるじゃないですか。 それもあれもこれもじゃないですか。 TKの場合、人がいいから、「いいですよ。」って言っちゃうから、で量 が増えちゃうんですよ。 すごいですよ。 もう仕事の量中途半端じゃないですよ。 日本のレコード会社の悪いとこって、発売日を先に決めるじゃないですか。 こっちでは信じられないことですよね。 アーティストにここまでに仕事やれっとか言うわけでしょ。 ここまでに曲書けとか。 信じられないですよね。 クリエイティブな仕事なんですから。 でもそれをやらなきゃいけないTKだから、どっちかと言うと、すっげえ名曲もあれば、急いで作らされた曲もあるじゃないですか。 だからそういうのだけをピックアップして、批判されるのは可哀相だよね。 判ってない人多いよね、彼がどういう状況に置かれているのか。 判らずにTKをあーだこーだ批判する業界の人は、ちょっと不公平だよね。

PCI: 日本にいたら集中して仕事できないんで、TKはこちらにスタジオ持ったんでしょうね?

ケンジ:ホントそうですよ。 一時期凄かったですよ。 初めてグローブと奈美恵ちゃんやり始めた頃なんか、TKとミーティングやるってことでスタジオ行くでしょ。 外に日本から来た人が20人位 会いたいって待ってるんですよ。 ちょっとでもいいから時間くれって。 こっちは仕事してるって言ってるのに。 その日本から来た人達、結局3日間待ってましたよ。 ほんと、おかしな状況でしたよね。

PCI:グローブの頃からずっとTKとは仕事されてたんですね?

ケンジ:一番最初は、グローブの方はベースを弾いてくれって言われたんです。 それからケイコのボーカルディレクションやってくれってことになって、それでマークのラップを付けたりとかすることになったんです。 奈美恵ちゃんの仕事もほぼ同時にやり始めました。 

PCI:小室さんは年の割りには活動長いですよね。 アノネノネのバックとかもやってみえたんですよね。

ケンジ:長いですよ。桑名のバックもやってたんですよ。 今、彼の右腕で俺の親友でもあるきみちゃん、佐藤っていう人がいるんですけど、彼は桑名のマネージャーやってたんですよ。 そっからの知り合いなんですね。 だから信頼しきってて。 俺が下積みの頃、ハリウッドのギターセンターのマネージャーやってた頃、その佐藤っていう人はSushi on Sunsetで寿司を握ってたんですよ。 そこで知り合ったんですよ。 

PCI:今は年に1回位 は日本へ行ってみえるんですか?

ケンジ:月に1回ですよ。年に2-3ヶ月は奈美恵ちゃんのツアーがありますし。 

PCI:バンマスですか?

ケンジ:そうです。 ミュージックディレクターなんで、彼女と演出家のサムが曲を選ぶじゃないですか、そのアレンジとか、こっちでバンドのリハーサルをもう演ってくんですよ。 だから我々が日本へ行った時には彼女の思い通 りの音が大体もうできてるんですよ。 だからマルチとか、弾けない音とかあるじゃないですか、そういう音だけを録って流して、後俺達が弾くんです。 だけど俺達大体全部弾いてますよ。 奈美恵ちゃんも全部歌ってますよ。 こっちでは信じられないこと。 ジャネットジャクソンでもマドンナでも全部歌わないですよ。 だって踊るじゃないですか。 ジャネットの場合は3分の1は口パクですよ。 激しい踊りのやつは特に。 マドンナもそうだし。 ツアー何日も続くんですが、奈美恵ちゃんは全部踊って歌ってるんですよ。 これもまた日本の業界の変な話なんですけど、安室奈美恵っていうと芸能界でアイドルっぽい形で見られているじゃないですか。 全然違うんですよ。 典型的なアイドルだったら俺達一緒にやんないですけど、奈美恵ちゃんの場合は、歌真剣に取り組んでるし、頑張り屋だし、だからバックのメンバーも凄いですよ。 だからちょっと親父みたいな言い方だけど、俺達彼女が成長していくのを見るのがすげえ楽しみなんですよ。 初っぱなやった頃は、暗記したまま歌ってるって感じだったけど、その次やった時には全然うまくなってたし、そして、俺達のやってる事を言葉とかで理解できなくても、何かこれがいいとか何か違うとか言ってくる様になったんで、これは判ってんだなって思った。 タメを覚えた時なんか、全然ノリが違うんで。 すごいこれから楽しみですよ。 

PCI:5弦ベースを弾いてみえるんですか?

ケンジ:そうですね。 奈美恵ちゃんのバックでは5弦が多いですね。 本当は4弦で気楽に弾いてたいんですけど、TKの書いた曲やコンピュータとかキーボードとかで作られた曲は、4弦だと音が足らないですよ。 トータルで聞いた時にやっぱり5弦で弾いてないとしっくり来ないんですよ。 例えばDの音でも、シンセやギターの音と一緒になった時に、5弦でのDでないとトータルの音がちゃんと出てこない。 4弦ベースで弾くのは1曲だけかな。

PCI:プレイヤーとして5弦ベースの使い勝手は如何ですか?

ケンジ:7年前まで、5弦なんてねえだろ、ベースは4弦だって言ってたんですよ。 でもいざセッションなんかで、ローDが要るんで、じゃって弾き始めたんですよ。 最初はすげえ気色悪いんですよ。 弾いてて。 だけど慣れたら、もうやばいですよ。 今じゃ無いと気色悪いって感じですよ。 だけど昔の曲やったりとか、スラップしてこう遊んでいる時なんかは、4弦の方が全然弾き易いですよね。 それと4弦と5弦では鳴りが違いますね。 例えば開放弦でEをスラップした時にでも、4弦と5弦では鳴りが随分違うんですよ。 何であんなに違うんですかね。 トータル的なテンションが違うからでしょうかね。

PCI:日本での活動は安室奈美恵さんとの仕事が主ですか?

ケンジ:ここ4、5年はそうですね。 

PCI: 日本でも最近おもしろいバンドが多く出てくる様になりましたね。

ケンジ:ほんとにねえ。 変わったことやってるバンド、それでちゃんとしてて音楽的にも成り立っているラブサイケデリックっていうのとか。 めっちゃくちゃおもしろいですよ。 音の作りもおもしろいですし。 

PCI: ケンジさんはこちらでもツアーに出られたりとかするのでしょうが、最近ギタリストなんかでこちらで若手でおもしろい方はいますか?

ケンジ:セッションマンだと、マイケルトンプソンとか、ティムピアスとかランドゥーしかいないね。 今ねロスでは若手があまりいないんですよ。 若手はやっぱりイーストコースとです。 こっちではもうセッションやってる人間が押さえちゃってるじゃないですか。 そして映画やってる人間も押さえちゃってるし。 ライブとかツアーのリハとかオーディションで入り込むか、やっぱりイーストコースト行って、入り込むしかないんじゃないかな。 イーストコーストにはイーストコーストのセッションマンとかいるけど、もう少し若手が入りやすいんじゃないかな。 

PCI: 今後も日本での仕事が主になりそうですか?

ケンジ:いや元に戻したいですね。 どっちかと言うと。 80年代はアメリカ80、日本20だったんですよ。 それが今は全く逆で日本80、アメリカ20なんですよ。 せめて、アメリカ60、日本40位 に。 そうでないと僕のやってきたスタンスと意味がなくなってしまうからね。 日本人がこっちでやってるじゃなくて、1ミュージシャンとしてこん中で弾いてるという位 置をキープしたいし。 今皆よくしてくれて、仕事があるのは嬉しいんですけど、でもなんか違うんですよ。 バランスが難しいですね。 自分のやりたいこと、プロデュースとかもっとやりたいんですけどね。

プロデュースと言えば、オバタミナコって子プロデュースしてたんですよ。 英語でR&B歌わしてて、今日本で流行っていることを4_5年前に始めて、3枚アルバム出したんですよ。 プロの人にはすっげえ受けたですよ。 アドリブなんか読んでる人にはすっげえ受けて、「ベストアルバム」なんか取ったんですけど、3年早かったんです。 今出してればすごいでしょう。 

PCI:ティナとかバードとか?

ケンジ:バードもうまいし、ティナなんてすっげえ歌唱力あるしね。小柳はちょっと背伸びしてるとこあるね、 歌い方にちょっと無理があるね、だけどうまいですけど。 ティナは本当にうまい! 一番最初にテレビ出た時に、奈美恵ちゃんと一緒に居たんですけど、ものすごく上手いなって感心したんですよ。 親父さんがサックスプレイヤーだってね。 彼女の所属する会社がマーケティングうまくないんで伸び悩むんじゃないかなと思っていたら、現にその通 りになったね。

PCI:みんな知ってるけどメジャーになりきれないって感じですね。

ケンジ:そうなんですよね。 ちょっとスーダラ。 やっぱりプロモーションの仕方ですね。 特に日本はそうじゃないですか。 

PCI:日本人で海外出てきてやっていける様なミュージシャンはいませんかね?

ケンジ:いますよ。 沼沢タカさんって知ってます? 彼は最高ですよ。 彼のドラムはどこ行っても通 用しますよ。

PCI: はい、シアターブルックと仲いいんですが、タカさん今手伝ってて、寝る間もないほど忙しいらしいです。

ケンジ:ビジネスのストラクチャーが違うのでこちらではやりにくいかもしれないけど、一番の壁は英語でしょうね。 「上を向いて歩こう」みたいなよっぽどのメロディーでないと、やっぱりこっちでは、全世界でブレークするには英語でないと難しいでしょうね。 やっぱりラテンでブレークした連中もまず英語で始めてるね。 ただ暗記して覚えた英語じゃなくて、伝わる英語ですよ。 日本ではさっき言ったラブサイケデリックとかおもしろいコンセプトのバンドも出てきているし、世界で出て来ておかしくないですよ。 日本でもMTVの様に長い目でミュージシャンの音楽とコンセプトが発表できる様なメディアができるといいね。 誰か日本でMTVやれよって言ってるんですがね。 日本のメディアの30代のクリエイティブな人達の考えが通 る様になれば、日本もすこしずつ変わっていくんでしょうね。 

PCI: 音楽業界だけでなく日本全体が今変化の時期ですね。

ケンジ: そう。でも音楽に関しては今日本ていい国だとも思いますよ。 ボサノバとかジャズとか何でも聴けるじゃないですか。 ラジオ聴いてても偏らずに満遍なくいろんなもの聴けるでしょ。 それは悪いかもしれないけど、大変いいところでもあるよね。 知識は広まるから。 そして今色んな音楽が流行ってて、リスナーもこれだけって決めずに、これ大好き、だけどこっちも好きってな具合になれる。 だからミュージシャンとかこっち側から見たらすごくいいマーケットなんですよね。 こっちみたいに、これが流行ったから、スタイル変えてこれを弾かなくちゃ、みたいにならなくてもいいかもしれない。 自分でこれだっていうスタイルを持てば、ちゃんと聴いてくれる人ができるんじゃないかな。

PCI: その他に来年の活動で考えてみえることありますか?

ケンジ:ウエストコーストオールスターズみたいなバンドでジェイグレイドンと一緒に大阪のブルーノートあたりへツアーへ行くってのも考えてますよ。

PCI: それは喜ぶファン多いでしょうね。

ケンジ:お客さん入ると思うんですよ。 特に大阪はAORのファンすっげえ多いんですよ。 だから、ジェイのツアーでブルーノートやるって言えば、これは金銭的なものも無理だし、ジェイももう我がまま言い過ぎるから(笑)、だから俺が逆に言ったんですよ。 俺のGIGとして、お前、ギタリストとして来てくれる?って。 「Of Course!」 って言ってくれましたよ。 だから、やるとしたらそういう感じですよ。 こっちのトップのバンドメンバーを連れて行って、ギャラも安いから、日本に遊びに行く感じでちょっとやりに行こうやって言ってるんですよ。 そしてそれをライブで録って、それを売ると(笑)。 そういう感じです。 本当にこういうのやりたいんですけど、ただ時間がねえ。 取れるかどうか。 こういう好きなコアなことやり始めると生活成り立たないし。 ここのバランスがちょっとしんどい所。 

PCI: 仕事あるうちに無理してでもやっておこないと、来なくなると仕事全くなくなるという話も聞きます。

ケンジ:そうですよ。 15年前、ジェイがばりばりだった頃のセッションマンなんか今全くダメですね。 ジェイみたいにプロデュースやっててある程度残ったのは別 として。

PCI: ディーンパークスは?

ケンジ:そうディーンパークスだけですよ、何とか残れたのは。 レイなんかにももっと仕事あるといいんですけど。 あんだけリズミカルなギター弾けるなんてレイしか居なかったのに。 ディーンパークスはね、幅が広いじゃないですか。 それでアコギもうまいし、音楽の知識も深いし、彼は「こういうもの」って言えば、ほんとう、その通 りやってくれるんです。 セッションマンとしては最高ですよ。

PCI: またジェイの話に戻りますが、先日彼のうちへお邪魔した時、今後日本のアーティストと一緒にプレイもしたいみたいなこと言ってみえましたが、最近活動に前向きになってみえる様ですね? でも有名な相手じゃないとダメとか言ってみえました。

ケンジ:そうですね。 前はもう全然でしたが、最近仕事に前向きです。 僕はジェイとずっと友達じゃないですか。 こんなことがありました。 俺の親友で角松トシキっていうのがいるんですけど、彼が「ジェイに頼んだんだよ。 高っけえんだよ。 断られちゃったよ。」って言うんですよ。  で、ジェイに俺の友達とプレイしてくれないかって頼んだら。 「Sure! Who is it?」っていうから、「トシキカドマツ」って答えたら、「その名前どこかで聞いたことあるな」だって。 「おめえがNOって言った相手じゃねえか」(大笑) それで一緒にやってくれて、ついでにカラパナでも1曲ソロやってくれたんですよ。 オバタミナコの時もしょっちゅうソロ弾いてくれたし。 

PCI:2月にTUBEていう日本のバンドのベースとギターの人がこちらに遊びに来る予定なんですけど、都合がつけばジェイと一緒に会おうって言ってるんですけど。 角野さん、春畑さんはご存知ですか?

ケンジ:ええ。ジェイグレイドンのツアーの時に2人とも来てくれたんですよ。 前田くんは来なかったですけど。 カラパナの時も来てくれましたよ。

PCI:もしお二人がみえたら、一度ジェイも入れて皆で会いませんか?

ケンジ:全然問題無いですよ。 OKです。 

PCI:角野さんはTUBE以外に自分のバンドも持ってて、ライジングっていうんですが、そっちのバンドでジェイ1曲弾いてくれないかなって言ってたんですよ。 ジェイは有名ミュージシャンとしか演らないって言ってましたが、TUBEならOK だと思うんですけど。

ケンジ:問題無いでしょう。 2月はいると思いますし、カラパナここで演ってるかもしれません。

PCI: じゃまた是非その時お会いさせてください。 今日は本当におもしろい裏話有り難うございました。

ケンジ:まともな話あんまりなくて、裏話ばっかりですよ。(笑) 是非また会いましょう。 今度はゆっくりと家の方へ来てください。

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投稿者 pcij : 23:08

2018年9月 6日

PCI JAPANインタビュー#2(Kenji Nakai)

Kenji Nakaiインタビュー
2000年12月28日
場所:ハリウッドのレコーディングスタジオ、「RUSK SOUND STUDIO」にて
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<トムスコットを始めとする日米の有名アーティスト、プロデューサーと共に、次々と優れた作品を世に送り出しロスで注目を浴びているレコーディングエンジニア、Kenji Nakaiさん。 本日は、ハリウッドのスタジオでお仕事中に、時間を少々取って頂きおもしろい話をお聞きしました。>

Kenji Nakaiの手掛けた作品はこちら!

PCI:今日はお忙しい所ありがとうございます。 ナカイさんは最初からロスでこの仕事をスタートされたんですか?

Nakai:いいえ、レコーディングエンジニアとして日本で6年やって、その後ロサンゼルスに来て10年になります。 

PCI:日本ではどんな音楽をやられてたんですか?

Nakai:スタジオに勤めてましたので、来た物は何でもやらなきゃいけないという状況でしたが、結構ロック系が多かったです。 桑名さんの曲なんかよくやりました。 その他、ソニーの仕事が多かったんで、出たばっかりのブームとかプリプリとかのセッションも参加しました。 ユニコーンの初期の作品にも参加しましたが、奥田タミオはその頃からすごい頭角を表していましたね。 丁度85年の頃ですかね。 

PCI:どうしてアメリカに来ることになったんですか?

Nakai:アメリカへ来た理由は色々ありますが、小さい頃から仕事に関係なく、アメリカに憧れてたっていうのもあります。 あと、この仕事始めて、ミュージシャンでもプロデューサーでもそうでしょうけど、自分の好きな音楽やって、こういうもの作りたいとこの世界入るじゃないですか。 で、入って仕事し始めると、実際どういうことが行なわれてるか、もしくはどういう音楽が作られているのか見えてくるんです。 その頃80年代の半ばって、日本はもろ洋楽のコピーの真っただ中で、しかも80年代の初期にMIDIが出て、その頃いわゆる「打ち込み」っていう生の楽器を使わない音楽がどんどん出てきてました。 そういう製作のスタイルとか作品のカラーとかが全然納得できなくって、だんだんつまらなくなってきたんです。 それと同時に、僕が業界入ってやりたかった事っていうのは、今考えてみると大半がアメリカ産だったんですね。 たとえば、僕はザ•バンドとかリトルフィートとかレイナードスキナードとかが大好きですし、それからリンダロンシュタット、イーグルス、ジェームズテイラーとかちょっとR&Bかかってる系の重めのやつが好きだったんです。 それから、これは僕の個人的な性格なんですが、やり始めるとのめり込む方なので、どうせやるんだったら自分のやりたい音楽がここアメリカにある、そして自分はそういう音楽を作れる立場になりつつある。 じゃー目指すは世界一だって思って。 もしくは勉強するんだったら、世界一の場所でやった方が自分が優秀じゃなくてもそれだけ競争が激しいから、生き残るためにはだんだんそのレベルまでアベレージが上がって行くのかなっていう思いもありました。 

PCI:で、何か、つてとかスポンサーがロスにみえたんですか?

Nakai:何もなかったんです。 厳密に言うと、友達が一人ロスいました。 今でもすごい親友なんですけど。 エンジニアで同業者なんです。 僕がアメリカに来る前に、彼が1回日本に来たんですよ。 僕が勤めてたスタジオに来て、彼のアシスタントをして、それから仲良くなったんです。 ちょうど88年の頃ですね。 アメリカに行くぞと思い始めてた頃でした。 でも、お金もかかるし、現実問題として英語もしゃべれない。 これは何とかしなけりゃと。 日本ってレコーディングセッションは午後1時から始まるんです。 そして夜の2時、3時までっていうのが通 常なんです。 午前中にちょっと時間があるので、英会話の学校に行き始めたんです。 週に3回。 で、ちょっとづつ勉強してお金を貯めて、かつ自分の技術を磨きつつ結構同時進行で頑張り、90年にアメリカに来たんです。 2000年の10月で、ロスに来て丸10年になります。 

PCI:この10年色んなことがあったと思いますけど、最初はなにが一番大変でしたか?

Nakai:最初は仕事が全くないというか、就労ビザがないので法的にも仕事が出来なかったんです。 それと実際言葉の障害っていうのがあるし。 う~ん、でも、あんまり苦労しても忘れちゃうんで(笑)

PCI:仕事がちゃんとできる様になるまでどれぐらいかかったんですか?

Nakai:え~と、3年くらいですかねぇ~ 運がよくて、グリーンカードが2年で取れたんですよ。 取れてすぐスタジオで仕事始めたんですが、やっぱり英語の問題もあったし、英語で音楽の用語とか音楽製作の会話ができる様にならなくっちゃと、一時仕事をやめ、半年間くらい大学に通 ったんです。 そこでいわゆる英語で音楽理論とかディクテーション、ソルフェージュの勉強とかさせられて、結構ヘビーでしたけど周り全部ミュージシャンとか専門の人達ですから、すごい勉強になりました。 

PCI:アメリカでの初仕事はどんな仕事だったんですか? アメリカの会社から始めてギャラをもらった仕事は?

Nakai:それは「オーシャンウェイ」っていうスタジオのアシスタントの仕事でした。 「オーシャンウェイ」っていう世界でも有名なスタジオがあるんですね、サンセット通 りに。 そこでアシスタントの仕事をやって、最初にもらった給料のチェックが千何ドルで、うちにコピー取って飾ってますけど(笑)。

PCI:それはこちらにこられて3年経ってからですよね。 しばらくオーシャンウェイでアシスタントとして働かれた後、どの様にメインの仕事が来るようになったんですか? 

Nakai:最初にエンジニアとして認めてくれたのは、トムスコットでした。 僕はあるアルバムで彼のアルバムのミキシングのアシスタントをやってたんです。 で、それが終わって1週間後ぐらいになぜかトムスコットから僕に直接電話があって、「アルバムでもう1曲録音して追加しなくちゃいけないけど、やってくれないか?」って頼まれたんです。 それがいわゆるエンジニアとしての最初の仕事でした。 

PCI:アシスタントであったナカイさんの仕事を見て、トムスコットは何か引かれる物を感じたんでしょうか?

Nakai:そうでしょうかね。 「KenjiはアシスタントとしてはOver-qualifiedだ。 こんな仕事やってる人間じゃないよ!」とは言ってましたね。 確かにもう6年間日本でやってましたから。 で、東京で仕事やってたんで、早いんですよ、仕事が。 正確ですし。 最初は言葉の問題が大きかったんですが、それが解消されて行くにつれて、仕事が増えていったって感じですね。 

PCI:そして最初に認めてくれたミュージシャンが、トムスコットだったんですね?

Nakai:そうです。 その後もいつもミュージシャンに認めてもらえるってことが多いです。 

PCI:それはミュージシャンに好かれる音を作っているからでしょうか? それかミュージシャンが一緒にやりやすいからか?

Nakai:う~ん、ミュージシャンっぽいとは言えないにしても、何ていうかなぁ~ あんまり仕事仕事しないんですよ。 楽しんでやるんですよ。 だからたぶんそういうのって伝わるじゃないですか? 

PCI:さっき見せて頂いた最新のディスコグラフィーによると、日米の有名アーティストの名前が目白押しですが、仕事の比率としては今アメリカと日本とではどれくらいですか?

Nakai:最近日本の仕事が増えてきて、1割は日本で、9割はアメリカの仕事です。 つい最近までは10割はアメリカの仕事でしたから、日本の仕事がずいぶん増えたかなという感じです。 

PCI:アメリカでこれだけ認められているっていう実績が、やっと日本でも理解されてきているという所でしょうか?

Nakai:それはあるでしょうね。 それはこれからっていう感じもありますね。 それとやっぱり、昔からあるんですけど、日本人の逆差別 ってのが。 青い目をしてブロンドで、英語しゃべったらそれだけで音がいいと勘違いする人たちとか、ものすごく一杯いますから。 よく冗談で友達と話してて、僕の場合、日本で6年やって、こっちで10年ですよね。 英語で言うとAmerican EngineerなのかJapanese Engineerなのかって。 僕のスタイルはもうやっぱりアメリカンスタイルの方が断然強いし、いい悪いは置いといて、日本では僕みたいな傾向の音出す人っていないと思うんですよ。

PCI:アメリカのエンジニアのスタイルと日本のスタイルとの大きな違いはなんでしょうか?

Nakai:日本の人達は、きれいな音で作るんですよね。 こっちの人たちはかっこいい音にしてますよね。 

PCI:日本ではこじんまり、きれいにまとめるってのが多いんですかねぇ~?

Nakai:とにかくきれいなんですよ。 それこそ屏風絵の様なミックスをするんですよ、日本の人達は。 すごい繊細だし、それぞれの音の粒立ちもはっきりしてるし、クリアーなんだけども、やっぱり屏風絵の様に、奥行き感がないんですよ。 こっちの連中はそんなに細かいことを気にしなかったりするんですよ。 ただ、奥行き感があったり、質感はあるんですよね。 

PCI:ミュージシャンの演奏でもそういうことが言えるんじゃないんですか? 使う器材をものすごく気にする割りには、出て来る音はこれかい?ってな感じで。 アメリカ人ってしょうもない器材でもドーンって出てくることってあるでしょ?

Nakai:結局ね、それは特に最近だと思うんですけど、クラブシーンの影響だと思うんですよ。 アメリカっていまだにPAも何もない様なクラブで、マイケルランドーが、演奏するなんてことあるわけですよ。 スティーブルカサーがギター一本でフェンダーのアンプだけでやるとか。 歌を歌う連中なんてモニターなんて無しで歌いまくってるんですよ。 みんなそういう所でやって、有名になっちゃえば別 ですけど、その直前まではそれをずっと続けるわけですよ。 それが生活の糧ですから。 だから、そういう所にいると、あんまり細かいことを気にしなくなりますよね。 

PCI:どんな状況でも、自分の音をパっと出せる様にならなくちゃダメなんですね。 アメリカのレコーディングエンジニアとしては、細かいことよりも最終的に出てくる音がアーティストと共鳴することが重要ということですかね。 トムスコットもそういう部分でKenjiさんを気に入ったんでしょうか?

Nakai:トムスコットに関してはよく判んないんですけど、僕はよくミュージシャンに「音色や音質は僕がいるんだから、そんなに気にしなくてもいいよ。それよりも、かっこいい演奏が残せるように頑張ってね。」て言うんですよ。 ただそこには、僕がいれば少なくともアベレージ以上の音は残るっていう確信の上で言ってるんですけどね。

PCI:音質がいくら良くってもこっちに伝わってくる物がないと意味ないですよね。

Nakai:その通りです。音じゃなくて、そこにある音楽を聴くんですよね。

PCI:トムスコットとの仕事でできた音楽を聴いて、Kenjiさんの仕事がどんどんみんなに認められて行ったんですよね?

Nakai:じゃないですね。 一番よかったって言うか、広がるきっかけになったのは3年くらい前に自分で新人アーティストをプロデュースしたんです。 その時に、色んなミュージシャンと知り合いになり、誰かに手伝ってくれと頼まれ、そこへ行くとまた新しいミュージシャンに会うということの繰り返しで、仕事が広がって行ったんですよ。 

PCI:今までの仕事で一番印象に残ったミュージシャンとか、エピソードを教えて頂けますか?

Nakai:トムペティーのワイルドフラワーっていう5から6ミリオン売れたアルバムのレコーディングのアシスタントについてて、スタジオに60ピースのオーケストラを入れてやったんです。 ストリングスを録る専門のエンジニアがいるんですよ。 そういう人達って、録るのは上手いんですけど、意外と音楽をパっと把握するのに時間がかかることが多いんです。 そういう人達と一緒にミックスして仕上げるっていうプロセスは大変面 白かったですよね。 

PCI:それだけの大掛かりなレコーディングをやるっていうケースはあまりないですね。 

Nakai:普段僕が仕事してるスタジオではあんまりないですけど、例えば、キャピタルレコードとかオーシャンウェイでもやるし、TAD-A-Oっていうスタジオシティーにあるスタジオでは大掛かりなのをよくやります。 ここではほとんどの、たぶん90%を越えるメージャーな映画のサウンドトラック作ってるんですよ。 それと、話変わって、その前の仕事で面 白かった仕事があります。チープトリックのレコーディングです。 プロデューサーがテッドテンプルマンだったんです。 彼は昔からドゥービーブラザーズとかバンヘレンとかアメリカンロック系プロデューサーの大御所なんですけど、彼との仕事はおもしろかったですね。 チープトリックもおじさん達なんで、子供相手にやってる訳じゃないんで、それを踏まえた上で、自分のやり方で頑固にやるっていう姿勢が。 印象に残っているのが、エンジニアが適当にドラムの周りにマイクセットして出した音がたまたまそれなりに良かった時、彼が「よしこれでやろう。」てことになったんです。 その後エンジニアが、 いつもの通 りマイクを動かし始めたら、怒鳴り始めたんですよ。 今いい音出てるんだから触るなってね。 マイクのセット変えたら良くなるかもしれないけど、せっかく今いい音出てるのが良くならないかもしれないって。 この音がいいんだ。 ここに置くべきマイクじゃないマイクがあってもいいから、出てくる音がいいんだからって。

PCI:なるほど。 そういうアメリカのスタジオでの仕事に慣れてくると、日本での仕事に違和感はありませんか?

Nakai:それは無いですよ。 僕日本で仕事するの好きですから。 スタジオのアシスタントの人達は優秀だし、スタジオはきれいだし、器材は壊れてないし、やっぱいいですよ。 ちょっとモニター環境がちょっと違うのが残念ですけども。 欲を言えば、今僕が使っているスピーカーを持ち運びできれば有り難いんですけど、ちょっとでかいんで。 日本に無いんですよ、1台位 しか。 

PCI:器材って日本とこちら比較するとどうなんですか? 10年位 前は、日本のがいい器材持ってるんだけど、いい音録れない、こっちはぼろい器材なんだけど、いい音録れるねって聞いたことあるんですけど。

Nakai:なるほどね。 今は、変わんないかもしれないですけど、日本のスタジオの方がデジタル系の器材が多いですね。 アナログ系の器材は日本では少なくなりましたね。 でも、今回の仕事でもそうですけど、音源が日本だからっていって仕事がやりにくいって事は全くありませんよ。

ただ、まあこれは愚痴になっちゃうかもしれませんけれども、いわゆる、マニピュレーターもしくは、プログラマーと呼ばれている人達が、音楽の勉強をあまりせずに、アレンジャーとかプロデューサーになっているってのが最近多いですね。 それはそれで全然いいんですけど、その方法論よりも、多くの結果 論が、「すごくつまんないアレンジ」なんですよ。 それは一緒にやっててつまんないですね。 燃えてこないんですよ。 例えば生だったら、みんなそれぞれ聴きながら、お互いに影響しながらやっていくから、こうやって座っていると、ここでベースがちょろちょろって演ったり、ギターがちょろちょろって演ったりするのを、こう漏らさずに聴きながらミックスしていくってのは結構楽しいですよね。 そうすると、こうダイナミクスが出てきて。 おんなじキーボードが、がーんがーんがーんって入ってくるだけだと、やりようが無いんで、つまんないですよね。

PCI:器材についてもデジタル機器が氾濫する現在、逆にアナログ機器を使用して音の違いを出そうとする動きもあるのでは無いですか?

Nakai:それはもちろんありますね。 最近は日本でも多くなったみたいですけど、エンジニアの人が器材を持ち歩くっていうのは当たり前の事だと思うんですね。 確かに車が無いと大変なんですけど。 アメリカでも皆がそうしている訳ではありませんけど。

PCI:こだわるエンジニアは自分の器材を持ち歩く訳ですね?

Nakai:ええ。で、やっぱりそうしてる人間に仕事が来るっていう感じですね。 

PCI:器材についてですが、どんどんデジタル化が進む中、真空管のアンプや器材など暖かいサウンドをキープする為といううたい文句で販売されていますが、これらは残っていくと思われますか?

Nakai:他と違っていれば。 クオリティーがある程度まで達していて、あとはテイストで選択できるっていうレベルまで達していれば、残れますね。 音色とか耐久性とかスタジオを使う場合の最低の条件をクリアして、かつ特徴が出せるかってことですね。 僕はビンテージとかあまり興味は無いですが、音がいいものはいいと評価しますよ。 真空管のサウンドはひずみ始めた時の感じってのはいいですからね。 

PCI:近いうちにご自身のスタジオを作られるっていうお話をお聞きしましたが?

Nakai:正確には僕が仕事しているあるレコード・レーベルのスタジオで、そのシステムデザインと管理をしていく予定なんです。 まだ場所は最終決定してないんですが、ロスにでかいだだっぴろい家を買って、そこに作っちゃおうっていう計画です。 できたら案内しますのでぜひいらして下さい。

PCI:有り難うございます。 お忙しい中、今日は有り難うございました。

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投稿者 pcij : 22:08

PCI JAPANインタビュー#1(斉藤光浩/増渕東)

斉藤光浩/増渕東インタビュー
2000年12月28日
場所:ハリウッドのレコーディングスタジオ『RUSK SOUND STUDIO』にて

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増渕さん(左)と斉藤さん(右)

「バウワウのギタリスト、兼プロデューサーとしても幅広い活動をされている斉藤光浩さんと、同じくプロデューサーで活躍中の増淵東さんが、一緒にハリウッドのスタジオでアニメのイメージアルバムを製作中でした。 おもしろい話を聞かせて頂きました。」

PCI:斉藤さんはバウワウ以外にも幅広い活動をされていますが、音楽を始められたきっかけから教えて頂きますか?

斉藤:ほう~ そこから行きますか? 長いですよ(笑) 中学校の3年の春までは音楽とかってそんなに興味がなかったんですよ。 普通 にテレビ見てて、歌番組やってたら見る程度で。 取り立てて誰々が好きだとかいうのも無くて、レコード買って音楽を一生懸命聴いたっていうのも全然なくて。 中学校3年の春まではね。 実は野球をやってたんです。 本気で甲子園行きたいと思ってたぐらい一生懸命野球やってたんで、野球三昧。 学校も勉強しに行くんじゃなくて、野球をやるために学校へ行くって感じでした。 中学3年の春に大会があって、一旦引退になるんですね。 その時に、どうしようかなって考えたんです。 横浜に住んでたんですけど、横浜の高校って野球の激戦区で強いとこってスカウトなんですよ。 中学3年のうちから目をつけられて「うちに来いよ」と。 でも僕ちっちゃくて細かったんですよ。 もうやめようかなと思ってたら、その時に友人がフォークギターを持ってて、一緒にやろうと。 そこから音楽に入ったんです。 

PCI:フォークですか?

斉藤:ええ、吉田拓郎とかです。 今42になりますんで、その頃流行ってた音楽って想像つきますよね? 最初二人でフォークデュオをやって、で、おきまりで秋の文化祭とかに出てまして。 そいつがフォークもやりつつロックも弾いてて、そいつの家でロックを聴くようになって、そっからですね、本格的に洋楽を聴き始めたのは。 最初に聴いたのは、ディープパープルのマシンヘッド。 それを聴いて、コピーして、それからロックの方に行きました。 

PCI:それからギターを本格的に弾き始めたんですね?

斉藤:いや、その時はベースだったんです。 何でベースだったのか自分でもよく判らないんですよ(笑)

PCI:本格的にギターを始めたのはそれからだいぶ後のことですか?

斉藤:その後、ローディーを募集している事務所があって、そこにやらせてくれって入ったんですよ。 そしたらローディーは無理だけど、今キャロルの弟分みたいなバンドを作りたいっていう話があって、やってみるかってことになったんですよ。 その時もうすでにベースがいて、そいつと僕でギターを弾かされて、で、ちょっと僕の方が弾けたものですから、僕がギターを弾くことになったんですよ。 だから、非常に芸能チックに決まったんですよ。 ちょっとロックと違うかなって?(笑)

PCI:キャロルの様なロックンロールをやられたんですか?

斉藤:じゃないですね、歌謡曲ですね。 その当時、75年頃は歌謡界でバンドブームみたいなのがあったんですよ。 それで、シングルを2枚出したんです。 何をどうしようか誰も考えてなかったんで、まー人気がなくなったらじゃ、終わる?みたいな感じでした。 テレビは1年間ぐらい「銀座ナウ」でレギュラーで出てたんで、その時に見ててくれた人が結構いましたね。 で、そのバンドが終わる頃にバウワウを作るんですけども、バウワウも自然発生的にメンバーが集まって出来たんじゃないんですよ。 まずプロデューサーがいて、最初は日本のベイシティーローラーズを作りたいということだったんです。 その後山本恭司が加わって、音出してみたら、これがすごいハードロックなんです。 で、そこで方向転換して「ベイシティーはやめよう、徹底したハードロックバンドを作ろう。」と決めたんです(笑) 

PCI:バウワウのデビューはいつだったんですか?

斉藤:確かデビューは75年だったと思います。 ギタリストとしてはここからスタートしたということになります。 

PCI:バウワウの活動は何年続いたんですか?

斉藤:バウワウは8年間やって、それから少し抜けたんですよ。 バウワウってブリティッシュハードロックじゃないですか。 それから始まったんですけど、もうちょっとロックンロール的なジョニーウィンターとかエアロスミスとかああ言った物が好きになりまして、ちょっと音楽性が合わなくなってきて、それで抜けたんです。 で、その後にARBっていうバンドに入って3年、その間もソロで活動しつつ、プロデュース業とかもやって現在にいたるってとこです。

PCI:現在のメインの仕事はプロデュースの仕事なんですか? 

斉藤:どれがメインってないんですよ。 バウワウも、おととし復活させて、年に1回ぐらいやってます。 「もう一生解散するのはよそう、その替り、年に1回だけだぞ」っていうノリでやってるんです(笑)

PCI:オリジナルメンバーなんですか?

斉藤:はい。 でも、ベースのキンさんっていう人は音楽の仕事をしてないんで、ゲストみたいな感じで出るんですけど。 

PCI:サノケンジさんって言うお名前ですか?

斉藤:そうです。

PCI:先日、カラパナのベーシストとして、また安室奈美恵のバンマスをやってみえるサノケンジさんとお会いしまして、バウワウのサノケンジさんと同姓同名なんで、よく問い合わせがあると言ってみえました。 ヨーロッパへツアーに行った時に、詳しい人が「おまえはどっちのサノケンジなんだ?バウワウか、カラパナか?」って聞かれたそうです。 バウワウのサノケンジさんはどうしてるんだろうという話が出ました。 

斉藤:もう音楽とは違う仕事をやってます。 ただライブの時とか、今回のアルバムの時なんかは、手伝って弾いてくれます。 

PCI:バウワウのサノケンジさんはどんな字を書かれるんですか?

斉藤:佐野賢司だったと思います。

PCI:カラパナのケンジさんは佐野健二です。 今度彼に伝えておきます。 バウワウ以外にも演奏活動されてるんですか?

斉藤:「KIT16」というバンドもやってます。 ARBと甲斐バンドにいた田中一郎っていう人と、セッションをバリバリやって、休みがほとんどない河村カースケ智康っていうドラムと僕の3人でやってます。 こっちは年に1回ってわけではないですけど、ただ通 常のバンドみたいに、年間通してべったりとは仕事しないです。 ライブをやったり、アルバムを出したりするバンドが2つあって、それと、プロデュース業ってことですね。 どれがメインってわけではなくて、虫のいい話ですけど、どれも楽しくやってます。 

PCI:斉藤さんのイメージというと、LP ブラックビューティーやテレキャスターカスタムがまず浮かぶんですが、最近はどういった器材を使われていますか?

斉藤:実はあのLPはギブソンじゃなくてナビゲーターなんですよ。 皆、ギブソンだと思ってくれるんですけど。 ロスに来る前に雑誌のプレイヤーの取材があったんで、そこに最近の器材が紹介されています。 ただ、そうやって改めて自分のギターを見てみるとほとんど日本のものばかり。 あまり思い入れみたいなのがなくて、使わなくなると売ったりしちゃうんです。

PCI:では結構器材の入れ替わりは多いんですね?

斉藤:この前もバウワウのレコーディングの時にアンプを探してて、増淵君が最近手に入れたDr. Z を奨めてくれて、音は気に入ったんだけどコントロールがボリュームとトーンだけなんで、もっとツマミがあるやつ試したいと思ってたけど時間的に無理だったんです。 それで知り合いが持っていたネイラーのコンボを手に入れてバウワウのツアーでも使いました。 今回もロスでいいテレキャスターがあれば買いたいんですよ。 できれば自分と同じ1958年生まれの。

PCI:1958年ならLPがいいんじゃないですか?

斉藤:いやーいいんだけどさすがに値段がねえ。 LPはグラミー賞取った時かな? 割と最近はテレキャスターの雰囲気なんですよ。

PCI:プロデュース業では増淵さんと一緒に仕事をやらているわけですね?

斉藤:基本的には二人で「DNツインズ」って言うんですけど、ユニットプロデューサーなんです。 こっちだと「ジャム&ルイス」とかストックエイティントン何だか?とか、色々いるんですよ、海外には。 複数でチームになってプロデュースをやるっていうのが。 日本にはないですけど。  

PCI:そういうのは日本ではユニークな存在なんですね?

斉藤:日本にはないですねぇ~ 弟子みたいな感じの人はいますけどね。 アシスタントみたいな人が一緒にやってるっていうのはありますね。 我々みたいに横並びで一緒にやってる人はおそらくいないでしょう。 

PCI:増渕さん、斉藤さんとの出合いはいつだったんですか?

増渕:一昨年前です。 去年の12月まで私はサラリーマンだったんです。 「イーストウエスト」ってとこで働いていたんですけど、そこへ斉藤さんもプロデューサーとして移籍されてきて、一緒に仕事をする機会ができたんです。 

斉藤:そう。 結局僕も今年の5月か6月までは「イーストウエスト」にいたんですよ。 

PCI:お二人が一緒に仕事をし始めたのは、最近の出来事だったんですね。 何か、ずっと前からお二人で仕事してた様な感じがしました。 それで、どうして増渕さんはサラリーマンをやめて独立されることになったんですか?

増渕:色々理由はあるんですけど。 サラリーマンとして終えようと思えば、確かにおいしい位 置にはいたんです。 ただなんか全然自分らしくないんで、何が自分かっていうのがまだ判ってはいないんですけど、で、その疑問があった時に、他のメーカーのアーティストのプロデュースをしてほしいって言う話があって、それもいいかな?って思ったんです。 それからある企画プロジェクトがあって、音楽を一緒にやらない?っていう話が斉藤さんからあったのが二人でやることになったきっかけですね。

斉藤:増渕さんが会社をやめてから、二人は別 々に仕事してたんですよ。 その後、インデペンデントで二人で一緒にやろうと言うことになったんです。 だから二人で仕事を本格的に始めたのは今年の始めからですね。 まだ1年も経ってないんですよ。 

PCI:今年、色々二人でプロジェクトやっていたと思います。 グリーンベアは聞かせてもらいましたが、それ以外にはどんなプロジェクトがありましたか?

増渕:「Moopie」っていうバンドとか、企画もののサウンドトラックとか。 

PCI:今回でロスでミキシングされているのはどういう物ですか?

増渕:これはバンドではなくて、「最遊記」っていうアニメのイメージアルバムなんです。 

PCI:うちの娘が日本で流行ってるって言って、ロスの日系レンタルビデオ屋で「最遊記」を借りて、昨日見てたとこです。 「西遊記」を基にして作ったアニメで、字は「最遊記」って書くんですね。 

増渕:そうです。 それの第2段のアルバムを今やってるんです。 第1段はもう発売ずみですよ。 アニメの中身のイメージとリンクして、かつ音楽として成立する物として作ってほしいという依頼で作ってるんです。 二人とも、アニメ、全然見ないし読まないんですけど、今回は研究しましたよ。 

PCI:このアニメの仕事は今までの仕事と毛色は全然違うんでしょうか?

増渕:中身的にはむしろ本来のプロデュースの仕事と近いかもしれません。 テーマを与えられて、作る作業に関しては人選、スタジオの選択も含めて全部こちらで仕切るんで。 

PCI:早速ボリューム1を買ってこようと思います。

増渕:ロスのメルローズアベニューのビバリーセンターの近くに、「アニメート」という日本のアニメのCDやグッズを売る店が出来ましたから、そこへ行けばアメリカでも手に入りますよ。

PCI:今回、この「最遊記」を完成させるのに、ロスを選んだ理由は何ですか? 

増渕:クライアントさんが「アニメイト」っていうショップをロスに作ったんで、それを視察したいってことと、「レコーディングもロスで如何ですか?」って言われて、「全然OKです」ってことになったんです。 ロスにはナカイケンジっていう、本当にいい音を作ってくれるエンジニアがいますから。 今回も彼と一緒に音を作っています。

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ナカイさんと仕事中の増渕さん

PCI:今日本のアニメはアメリカでもすごくウケてますよね。 ポケモンにデジモンに少女漫画に。 日本のアニメや原作が英語に訳されてどんどんこちらでも販売されていますね。 

増渕:こないだビバリーヒルズのワーナーブラザーズのショップへ行ったら、その中でドラゴンボールのキャラクターグッズが売ってたんですよ。 

PCI:アニメは数少ない日本が輸出できるソフトとして大きな産業になりつつありますね。

斉藤:もうアジア圏はすごいですよね。 

PCI:今後、バンドのプロデュース以外にも仕事の幅がアニメで広がりそうですね。

斉藤:そうですね。 昔は映画のサウンドトラックの世界が多くあったんですけど、今の日本は映画って厳しいじゃないですか? そういう意味ではこのアニメの動きは面 白いですね。 

PCI:バンドなんかをプロデュースしてレコーディングするのと比べて、アニメの仕事はどこが大きく違いますか?

増渕:レコーディングの作業としてはまったく同じですけど、大きく違う点は、アニメの場合、コンセプトだけがあって、すべてをゼロからスタートさせなくちゃいけないってことです。 

斉藤:ほかの方々のやり方は知りませんけど、僕たちの場合、アニメの原作者と頻繁にやりとりをしながら進めて行くんです。 

PCI:原作者の意図を正確に伝えるという意味ですか?

増渕:そうですね。 なにか僕らもレスポンスが無いと、やりがいもないんで。 アニメの場合、産みの親である原作者のレスポンスを重要視してます。 

PCI:アニメ見ましたけど、なかなか面 白そうですね。 今日はお忙しいとこ有り難うございました。 最後に写真を撮らせて頂けますか? 

増渕:今朝4時までやってたんでヒゲも剃ってないんですよ。

斉藤:え、写真!? もう顔ボロボロですよ(笑)

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最後にポーズを決めてくれた斉藤さん

投稿者 pcij : 18:33