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2002年5月 3日

第1回『自己紹介とメモリーチェア』

***自己紹介***
アンニョンハセヨ-
どうも、古市コ-タローです。ザ・コレクターズというバンドでギターを弾いて日々を過ごしています。縁あって今月からコラムを書かせてもらう事になりましたのでひとつよろしく。多分、音楽とは関係ない事ばかり書くと思いますが僕の中ではどんな事でもギターに還元されていると信じているという事で許してね。

さて第1回目は自己紹介もまぜまぜして書いて欲しいという事なので何となーくしてみようかな。っていうかちょっと過去をふりかえってみようか。

俺がエレキギター(この呼び方大好き)を初めて手にしたのは1978年の1月、中学1年の冬休み。前の年の1977年から池袋の楽器屋に毎日のように通って指をくわえてながめていたエレキギター、どうせ買えないならとボリュームのノブだけかっぱらていたエレキギターをお年玉で買ったというところ。ちなみにグレコのSS500というSGタイプのギター。U1000というピックアップがついているやつ。(最近ひっぱりだして調整し、また弾いている)池袋の楽器屋に通ってたくせに、なぜかお茶の水で買った。どういうわけか友達のおふくろさんも一緒にきてまけさせてたなー。当時はパンクが出て来た頃でとにかくショック!音楽は大好きだったけど、まさか自分で弾くとはねー。SEX PISTOLSのビデオなんかを楽器屋とかでみるにつれてどうしても弾きたくなっちゃったんだなー。いや、正確にいうとその感情は弾きたいというよりはジェームス・ディーンと同じジーンズが欲しいとかそんな不純なものだったかな。まーいいさ、ロックはいつでも不純である。

そうそう、俺、エレキギターを買ったとたんに職員室によばれたんだよね。信じられないかもしれないけど1978年東京のど真ん中でもエレキは不良の代名詞みたいな感じがまだあったわけ。『古市クン、エレキなんて実にけしからん。せめて大学生になってからにしなさい。』なんてね。そう言われたからってわけじゃないけど、まー大学までは待たなかったけど高校までいっさい弾かなかったんだよね。もともとファッションでもったものだし、みがいて部屋にかざってあれば満足だったわけ。だいいちギター弾いてる暇があったらスペース・インベーダーのテクニックをみがく方がずっと大事だったもん。

1980 年、高校に入学。事情があって岩手県の学校に通ってたんだ。東京とちがって夜遊びもしないし毎日暇だった俺はついに本格的にエレキギターを手にする事になるんだよね。ギターでも練習してみっかとなったわけだ。運良くまわりにけっこう弾ける奴とかいていろいろ教えてもらったりしているうちにそこそこ弾けるよになった。もともと凝り性なんで結構練習したんだよね。パンクをやりたいはずなんだけど雑誌とかみるとサンタナとかTOTOとかしか載ってなくてね。しょうがないからやってたけど、今思うとそのへんはそうとうためになってるなー。やっといてよかった。

そんな時よくある話、学園祭でバンドですよ。メチャクチャうまい先輩がリードで俺はサイド。セッテイングとかよくわかんなくてピーピーハウりまくってはずかしかったよ。高1の学園祭が俺の初ステージだったわけだ。以来20年ずーっとギターを弾いていてこれからも弾くだろう。いや弾いていたいもんだね。人間本当に好きになったものに対するエネルギーはすごいもんだ。

さっ、こんなとこかな。ちょっと自己紹介っぽくしてみると、、、
身長187・ 血液型O型 1964年5月30日生まれ 酒かなり好き。趣味はパトロールパチプロ経験あり
ジーンズが好きだね。

***メモリーチェアー***

ギターを初めて手にした頃、初めて口にしたものがある。
それは吉野家の牛丼。今でこそメジャーなイメージで女性同士もカップルだって食べちゃうけどその頃はかなりワイルド、女性同士どころかデートでそんなとこに連れてったら非常事態ぼっ発である。俺はその頃の方が好きだったけどね。最近じゃ牛皿で酒のんでる奴もへったよなー。俺はのむぜ。

13 才の少年だった俺はこの牛丼にえらく感動したものだ。寒い日の夜中に知り合いのおにいさんにつれていってもらったんだけど、店の中に入ったら熱いお茶がむかえてくれたね。おにいさんは吉野家のプロだ。俺はそっくり同じやり方にしようときめた。オーダーは並、たまごだ。たまご?まず牛丼にたまごをかけるという今じゃ体がかってにやっちゃうような事がショックだった。よーくかきまぜてたらおにいさんがこう言ったね。『ダメ、ダメ白身と黄身の食感がちゃんと残るようにかきまぜすぎないで。』プロだ。すばらしい。しょうゆなんて入れたら殺されそうだ。これは今でも注意している。同じセリフを友達に何度言った事か。そしてその上に七味だ。かっこいい。おとな。うまい。はやい。やすい。俺は吉野家に完全にやられた。

この時に座った席をメモリーチェアーとよんでいる。店はきれいになったけどほぼ同じつくりであの頃と変わらない。この席で夜中に食べる牛丼はたまらない。いつでも俺を初期化してくれる。

kotaro_may_02.jpg
メモリーチェアでご機嫌の筆者

***またねー***
こんな感じでこれからもよろしく。

(コータローさんのインタビューはこちらです。)

投稿者 admin : 08:22


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