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John Mayall インタビュー (1/2)

ブリティッシュブルースの巨頭、ジョン・メイオールをツアー中に楽屋にお邪魔してお話をお伺いしました。

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2003 Hiroshi Mochizuki)

Bluesを始めたきっかけとBluesbreakersの変遷

PCI: "STORIES"という新アルバムが好評の様ですね。 日本にもあなたのファンは大勢います。 読者からいくつか質問も頂いていますので、宜しくお願いします。 

John:OK。何でも聞いてください。 

PCI:1933年生まれとお聞きしていますので今年69歳ですね?  ファーストアルバムは1964年に出されたとか? 

John:そうです。 今までに52枚のアルバムを出しました。 全てのリストがwww.johnmayall.comに載っているので是非見ておいてください。 

PCI:ミュージシャンになる前はデザイナーの勉強をされていたそうですね? 

John:グラフィックデザインの勉強をして一応就職もしたんですよ。 

PCI:それがなぜブルースをやることになったのでしょう? 

John:父親がジャズやブルースのレコードをたくさん集めていたので、小さい頃からブルースをよく聴いてたんです。 13歳の頃にギターやピアノを始め、いつしかのめり込んでいきました。 気がついたらミュージシャンになっていました。(笑) ミュージシャンになる前、兵役について韓国にしばらく行き、その頃日本にも行ったことがあるんですよ。

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2003 Hiroshi Mochizuki)

PCI:そうだったんですか。 アメリカに移られたのはいつでしたか?

John:1969年でした。

PCI:アメリカ移住のきっかけは何だったのでしょうか?

John:1968年に "CRUSADE" というアルバムのレコーディングのために初めてアメリカに来たんです。 そしてこのカリフォルニアを好きになってしまいました。 気候も人々も。 それで引っ越すことにしたんです。 それ以来ずっとカリフォルニアに住んでいますよ。 

PCI:あなたがブルースを始めたきっかけになったミュージシャンはどういった人たちでしょうか?

John:メインの楽器はピアノでしたからビッグ・メイシオなどの古いブルースミュージシャンに刺激を受けました。

PCI:50年代イギリスではあまりブルースを聞く人は居なかったんじゃないですか?

John:そうですね。 当時ブルースを聴くのは一部のレコードコレクターだけでしたね。 ブルースが聞かれる様になったのは60年代に入ってからです。

PCI:50年代のイギリスではどんな音楽が流行っていたのでしょうか?

John:単なるポップミュージックでした。 ビートルズが現れるまではイギリスのミュージックシーンは空白の時期だったと思っています。 ビートルズが状況を根底から変えたのです。 多くの人達に音楽の素晴らしさを教え、そして楽器を弾く喜びを教えてくれたのです。 

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2003 Hiroshi Mochizuki)

PCI:日本では「メイオール学校」と呼ばれるくらい数多くのビッグアーティストがあなたのもとで多くを学び巣立っていったと思います。 特に印象に残るミュージシャンはどなたでしょうか?

John:ブルースブレーカーズとして同じ音楽性を共有できるアーティストを選んできました。 色々な人とやってこれたのは本当にありがたいことでした。エリック・クラプトン、ピーター・グリーン、フリートウッドマックのメンバー達、そして今一緒にやってるメンバー達は特に印象に残っています。 

PCI:日本ではクラプトンが参加したBlues Breakers with Eric Claptonが特に有名でしたが、この頃の60年代のアルバムで特にお気に入りは何ですか?

John:バンドメンバーがよく変わったので、その時のメンバーで作った各々のアルバムは私にとって日記の様な物です。 全て気に入っています。 エリック・クラプトン、ピーター・グリーン、ミック・テイラーなど素晴らしいギタリスト達でした。

PCI:そういうギタリスト達にはあなたの方からサウンドについての注文を出していたんでしょうか? 

John:いや、まったくそういうことはありません。 バンドの音楽性、方向性にマッチしたメンバーを慎重に選び、後は各メンバーの個性にゆだねるのです。 選んだプレイヤー達の個性がブレンドされてバンドの音楽が創られていったのです。 

PCI:後にクラプトンとクリームを結成するジャック・ブルースも一時期あなたのバンドに参加していましたが、実際彼が在籍していた期間はどのくらいのものだったのですか? その当時の彼のベースプレイはいかがでしたか?

John:ジャックは2、3ヶ月しか居ませんでしたが、アグレッシブでたいへん情熱的なベースプレイを見せてくれました。 

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2003 Hiroshi Mochizuki)

PCI:クラプトンをあなたのバンドに加入させたいきさつについては日本でもよく語られていますが、ピーター・グリーンはどの様に見つけられたのでしょうか?

John:エリック・クリプトンとやっている当時、皆さんもよくご存知の様にある時エリックがギリシャに行ってしまい、バンドを一時抜けたんです。 それで急遽新しいギタリストを見つける必要があり、オーディションを行ったんです。 ピーター・グリーンはそのオーディションに応募してくれたたくさんのギタリストの中の一人でした。 ところが一週間したらエリックが戻って来たんで、またピーターにははずれてもらったんです。 エリックとそういう約束をしていたものですから。 

PCI:それじゃピーターは面白くなかったかもしれませんね。

John:そうですね。 その時はピーターには申し訳ないことをしました。 でも結局エリックが正式に抜けた後にはピーターに来てもらい、ピーターは素晴らしいプレイを数々残してくれました。

PCI:そうですね。 それではミック・テイラーはどの様に見つけられたんですか?

John:ピーター・グリーンが去った後、次に採用したのはミック・テイラーでしたが、ピーターが去る前からミックのプレイは見たことがあり気になっていたんです。 でもミックの名前は知っていましたが連絡先は分からなかったのです。 それでピーターが去ることになった時、雑誌にギタリスト募集の広告を出しました。 そうしたら運良くミックが応募してきてくれたんです。 彼のプレイと実力はもう知っていたので今度はオーディションをする必要はありませんでした。

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2003 Hiroshi Mochizuki)

PCI:ではミックがあなたの広告を見なかったら彼の加入はなかったかもしれませんね。

John:そうですね。 それから以前まだエリック・クラプトンが居た頃、エリックがライブをすっぽかしたことがあったんです。 その時ミックが観客で来ていて一回だけ一緒にプレイをしたことがありました。 お互い気に入ったんですけど、その時は電話番号を交換しなかったのでその後連絡が途絶えていたんです。 だからミックが応募してくれた時は本当に嬉しかったですよ。

PCI:劇的な出会いですね。 エリックがライブをすっぽかした話が出ましたが、彼は当時すでにヤードバーズでの活躍で人気ギタリストだったと思います。人気者のエリックは扱いにくかったのでしょうか?

John:エリックは真のクリエイティブアーティストですからいつも一つのバンドで同じことをやるのは耐えられないんでしょう。 それは彼の軌跡を見ればよく分かると思います。 つねに変化と新しい物を求めています。 今ではエリックのことは良く理解できますよ。 

PCI:今でもエリック・クラプトンとは交流があるんですか?

John:会えば昔の仲間ですから話はしますが、彼はあまりにも空の上の方に行ってしまいましたからあまり交流はありません。 会ったときに別に電話番号も教えてくれませんから。(笑)