PCI USA

PCI - Prosound Communications Inc

menu

 

Jimmy Earl インタビュー (2/4)

New Yorkとクルセイダーズとの出会い

PCI:最初の音楽活動はボストンがベースだったんですね?

Jimmy:そうだね。 ニューヨークへ移るきっかけは面白かったよ。 ボストンではDUTSUNの小さなステーションワゴンに乗ってたんだけど、すごいポンコツだったんだ。 ある日GIGからボストンへ帰る時、坂を昇っている時に途中で完全に車が止まってしまったんだ。 長い間乗っていたポンコツ車が完全につぶれた瞬間だった。 そこで車を坂の下の誰も通らない小道まで押していき、サイドブレーキを引き、ベースと衣服を持ってそのまま着の身着のままで電車に乗り、ニューヨークに引っ越したんだ。(笑)

PCI:車はそこに置去りですか?(笑)

Jimmy:そう、そのまま。(笑) ベースと着るもの以外何も持ってなかったし気軽なもんさ。 これがその時持っていた僕の5弦ベースだよ。

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:カナダのFベースですね。George Furlanetto氏の作った?良いベースですね。

Jimmy:彼のこと知ってるんだね。 そう、ジョージが最初に作った5弦ベースのプロトタイプがこれだよ。 Tiger's Bakuではこのベースを使っていたんだ。

PCI:その頃、5弦ベースを使う人は少なかったんではないでしょうか?

Jimmy:そうだね。 80年代前半だから、他に5弦ベースを弾いていたのは3人しかいなかったと思うよ。  アンソニー・ジャクソン、ジミー・ジョンソン、そしてトム・ケネディーの3人だけ。

PCI:それで、ニューヨークには何年いたんですか?

Jimmy:1986年と87年の2年間。  最初は金も仕事もコネも無くて、しばらくは厳しかったけど少しずつジャズのGIGの仕事をやっていったんだ。 ある時ボストンの友人が、Jazz Explosion というGIGへの出演をアレンジしてくれたんだ。 3 pcのリズムセクションに4pcのジャズアーティストが参加する、いつもニューヨークでは大盛況のショー。 既にベーシストはいたんだけど、他のメンバーがあまり気に入ってなかった様子で、友人が僕を紹介してくれ、マンハッタンのミッドタウンの店だったんだけど、僕をテストで起用してくれたんだよ。 これが大成功で、バンドメンバーも観客も僕を気に入ってくれたんだ。 この仕事でステップアップできたね。 素晴らしいショーで、毎週3日GIGがあり、ニューヨークだけでなくセントルイス、サンフランシスコやクリーブランドなど他の町でも演った。 リズムセクション以外のミュージシャンは毎週変わるんだ。 シンガーのジーン・カーンやトランペットのフレディー・ハバードやバイオリンのノエル・ポインターやピアノのロニー・リストン・スミスなど豪華メンバーだったよ。

PCI:このプロジェクトでジャズ界で認められる様になったんですね?

Jimmy:そうだね。 素晴らしいきっかけとなったね。 このプロジェクトに参加している時にスタンリー・クラークと出会ったんだ。 彼のバンドでは、ラムゼイ・ルイス(ピアノ)、ガトー・バビエリ(サックス)、エンジェル・ボーフィル(ヴォーカル)、ジェリー・ブラウン(ドラム)というメンバーでその頃スタンリーはベースのソロを弾きまくっていたね。 ちょっと自分でソロばかり演るのにも飽きていた様で、ある日誘われて彼のバンドで一緒に演ってみたんだよ。 ダブルベースで。 そしたら彼も他のメンバーも観客も大変気に入ってくれて、しばらく彼のバンドでも演ることになった。 そしてスタンリー・クラーク・バンドでヨーロッパと全米ツアーへ繰り出したんだ。 1987年から1989年までだったね。

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:その頃ロサンゼルスへ移ったんですね?

Jimmy:そうだね。 あっ、その前にもう一つ大事な話を忘れてたよ。(笑) ニューヨークで、そう、Jazz Explosionをやっている頃、ある休みの日にクルセイダーズがニューヨークにやって来たんだ。 ジョー・サンプル、ウィルトン・フェルダーがいた頃だね。 突然うちに電話があったんだ。 クルセイダーズのローディからの紹介で、クルセイダーズのツアーマネージャーが電話してくれたんだ。 クルセイダーズのローディの事は前から知ってたんだ。 彼はスタンリー・クラークのローディーもやってたんでね。  クルセイダーズのツアーマネージャーが言うには、ニューヨークのブルー・ノートでジョー・サンプルとジャムらないかという誘いだった。  もちろんOKと言ってすぐ駆け付けたよ。 そしたらその晩から一緒にやってほしいと頼まれたんだ。  彼らはツアーの真っ最中で、理由が分からないがベーシストが至急帰ることになってしまったんで、替わりに演ってほしいという事だった。 それでその日からクルセイダーズのツアーに参加し、結局その年はずっとクルセイダーズのメンバーだったんだ。

PCI:ニューヨーク以外にもクルセイダーズのベースとしてツアーに行ったんですね?

Jimmy:そうだよ、全米ツアーをして、その後日本にも行ったよ。 1987年3月のクルセイダーズ・ジャパンツアーは僕が弾いてたんだよ。 

PCI:その時が始めての来日ですか?

Jimmy:そうだったね。 そして同じ年の夏にヨーロッパツアーにも行ったんだ。 メンバーのほとんどがロサンゼルスをベースにしていたんで、結局僕もロスに引っ越すことにしたんだよ。 1988年の1月だった。

PCI:なるほど、それでまた全く違った音楽活動がここロスで始まったんですね。

Jimmy:そうだね。 音楽活動というか新しい人生の再出発っていう感じだったね。

ずっとベースを持ち弾きながらインタビューに答えてくれる。

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:やはりそうやってベースを持っていると落ち着きますか?

Jimmy:何かを思いだしたりする時、こうやってベースを弾くと頭に出てくるんだよ。(笑)