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Jeff Babko インタビュー

TOTO, Robben Fordなどが常に共演を求める超売れっ子、天才キーボード・
プレイヤー。 会ってみて改めて彼の魅力が判りました。 
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PCI:有名アーティストとのGIGで大活躍ですね。 ここに至るまでのエピソードなどを今日はお
聞きしたいと思います。 まずはいつどこで生まれてどの様に音楽を始めることになったかを教えて下さい。 

Jeff:1972年に、ここロスのサンフェルナンド・バレーで生まれたんだ。 Grananda Hillsっていう町で。 親父が音楽の先生だったんで小さい時にすぐピアノを教えてくれたんだよ。 2歳か3歳にピアノを始めたと思う。 確か5歳か6歳でピアノのリサイタルにも出て、その頃曲作りも始めたんだ。

PCI:まずはお父さんの影響が大きかったんですね。

Jeff:そうだね。 親父は家でもいつも音楽に関連したことをやってたからね。 それと両親がずっとピアノのレッスンや音楽学校などに行かせてくれたのも今の僕の人生に影響してるね。 Cal Artsっていうバレンシアにある音楽学校に10歳から高校卒業まで通わせてくれたんだ。 そこでずっとピアノを習ってたよ。 

PCI:高校卒業されてからはどうしたんですか?

Jeff:フロリダのマイアミ大学に行ってジャズと音楽理論を本格的に勉強したんだ。 4年間行って特にオーケストラやジャズのGIGもたくさんやることが出来て随分刺激になったよ。 それからTree Houseっていうロックバンドに入り、CDを一枚出した。 タイトルは「Listen To Reason」っていうんだ。 ちょっと今では捜すの難しいかもしれないね。 こないだ1ドルでサンフランシスコで見つけたよ(笑)

PCI:そのCDを出したの何年でしたか?

Jeff:1994年でその年にロスに戻って来たんだ。 ロスに来てからはベースのMichael Elizondoと自分のジャズバンドを結成したんだ。 Michaelと二人で毎週サンタモニカのLunariaっていう店に出た。 デュオのジャズGIGだね。 その後ドラムとサックスのメンバーを得てMissfits of Silence
っていうCDも出したんだ。 これはまだ売ってるよ。 最初に自分で何もかもやってレコーディングしたCDだから楽しかったね。

PCI:それは何年のことでした?

Jeff:1995年。

PCI:たった6年前ですよね。

Jeff:そう。 本当にこの6年は色んなことが起きたね。 ロスでCDを出した頃にマイアミの友人から電話があってJULIO IGLESIAS(フリオ・イグレシアス)のバックバンドに参加しないかって話があって引き受けたんだよ。 それから3年間彼と一緒にツァーやGIGをこなすことになった。


PCI:フリオ・イグレシアスは日本でもすごい人気でした。 ツアーはアメリカ国内でしたか?

Jeff:いや、世界中だよ。 日本へは僕がやめてから行った様だけど、僕がいる間でも東南アジア、ヨーロッパ、特にスペイン、それからブラジル、カナダはよく行ったね。 96年の11月に「タンゴ」っていうタイトルのプロモビデオも撮ったよ。 その頃Simon Phillipsとの仕事が増えて来たんでどちらかを止めざるを得なくなって、結局フリオの仕事やめることにした。 正式には97年7月にフリオとの契約は打ちきった。

PCI:Simon Phillipsとの仕事はどの様に始まったんですか?

Jeff:96年の終わり頃に友達のMitch Formanっていうキーボードプレイヤーから電話があったんだ。 彼はWayne Shorterとプレイしてたヤツで、Kevyn LettauっていうブラジルのシンガーとのGIGで知り合ったんだ。 Mitchの話だとSimon Phillips がツアーで一緒に弾いてくれるキーボー
ドプレイヤーを捜しているとのことだった。 それまでMitchがやってたんだけど彼は子供が出来て、もうツアーには行きたくないって言うんだよ。 そこで僕が引き受けてサイモンとベースのJimmy Earlと一緒にツアーに行ったんだよ。 それが最初のサイモンとの仕事さ。 そして寒いさむ〜い場所でのツアーとなったんだ。 97年の1月。 場所はスウェーデンとノルウェイ。 世界で一番寒い場所だと思ったよ(笑) バスのヒーターは気温が下がり過ぎて壊れちゃったし。

PCI:1月の北欧は寒いでしょうね。 メンバーはサイモン とジミー・アールとのトリオだったんですか?

Jeff:いや、サックスとギターもいて5人だった。 ギターはAndy Timmonsだったんだよ。 そのツアーの後サイモンと一緒に「Another Life Time」っていうCDを作ったんだ。 ジミー・アールがイタリアでの仕事があったんで、ベースはAnthoney Jacksonになったんだ。 この仕事も本当に楽しかった。