Dean Parks 2/3

PCI:そこが並のギタリストと違う所なんですね。 ではここで少し昔の話を聞かせて下さい。 あなたの情報はあまり日本に出回っていませんので。 まず、いつ、どこで生まれて、どの様に音楽を始められたんですか?

ディーン:1947年にテキサスのフォートワースで生まれました。 5才の時に、両親にカントリー・ウエスタンのショーへ連れて行かれたのが音楽への目覚めでした。 それで両親にギターを買ってとねだったんです。 でもまだ手が小さくて普通のギター弾けなかったんで、スティールギターを最初買ってもらったんです。 そして、それが弾ける様になったらほんとのギター買ってとねだり、結局買ってもらいました。 カントリーをコピーしてたんです。 その後結局飽きて、しばらくは普通の子供と同じ様な生活してました。

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:本格的にギターを始めたのはいつですか?

ディーン:11才の頃$10でアコースティックギターを買い、のめり込み、その後友達とバンドを組み、それからベンチャーズをコピーする様になりました。 それからハイスクールへ入った時、ジャズバンドに魅せられたんです。 そこでサックスを練習してバンドに参加しました。

PCI:ジャズはサックスで始められたんですね?

ディーン:ええ、それからノーステキサス大学へ入り、ジャズバンドでギタリストとして、またアルトサックスプレーヤーとして、両方の楽器でのめり込むことになります。

PCI:ノーステキサス大学はその頃ジャズでは有名だった様ですね。 それでいつロサンゼルスへ移ることになったんですか?

ディーン:大学卒業する頃、スタジオミュージシャンとしてLAに引っ越したいと思う様になったんです。 既にダラスではギタリストとしてスタジオ・プレーをしており、セッションギタリストに憧れるようになったんです。 その頃やはり仕事の多い場所はLAだったんで。

PCI:そうですか。 それで、いつLAへ引っ越されたんですか?

ディーン:1970年、22才の時です。

PCI:LAで活躍されるきっかけになったのは何の仕事でしたか?

ディーン:Sonny and Cherとの出会いが大きいですね。 彼等は60年代から有名でしたが、69年からツアーを始め、そのバンドで弾くことになったんです。 テレビ番組“The Sonny and Cher Comedy Show”もアメリカの家族に人気の番組になりましたね。 このバンドではカントリーからジャズまで色んなジャンルの音楽を経験することができました。  それで人脈も広がり、モータウンレコードの仕事もできる様になり、マイケル・ジャクソンやダイアナ・ロスのレコーディングにも参加する様になったんです。 ジャクソン・ファイブには曲も書きました。 TVショーではジョー・サンプルと共演もできましたし。

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:Sonny and CherのTVショーが活動範囲を広げる大きなきっかけとなったんですね。 そしてスティーリー・ダンとの仕事で、ラリー・カールトンとの絶妙なプレーも実現しました。 ラリー・カールトンの印象は如何でしたか?

ディーン:彼は最も完成されたギタリストの一人と言っていいでしょう。 彼のジャズのテクニック、クラシックのテクニックは、並み居るロックギタリストの人達に比較して大変優れています。 彼とはスティーリー・ダンのアルバムではいい仕事ができました。 彼と2人で座って、まず私が何か弾き始めるとそれを聴いて、彼が重ねてくる。 次に彼が弾いて、それに私が重ねる。お互いが自分の弾きたいことを弾き、それでインタラクティブに感応しあって心地よいサウンドが生まれたんです。 彼と私はギターで本当に会話ができました。 意識せずに彼とはそれが簡単にできたんです。

PCI:なぜラリー・カールトンとはそういうギターでの会話が簡単にできたのでしょうか? 前からお互いのことをよく知っていた友人だったからでしょうか?

ディーン:いや、お互いほとんど知らない間柄でしたから、そういうことではなく、ギターの、音楽とアレンジの感性が合ったいうことでしょうか。

PCI:それは2人の感性が似ていたということですか?

ディーン:そうではなくて、異る感性なんですけど、お互いのテリトリーを侵さずに相手を尊重しながら、かつ自分の感性をその上に重ねていくことができるということです。 こういうことは他のギタリストとはなかなかできません。 知らないうちにお互いの音、感性がぶつかりあって喧嘩してしまうことが多いのです。

PCI:ラリー・カールトンとは言葉なんか使わなくてもギターで会話、コミュニケーションができたんですね?

ディーン:そうですね。 これが音楽の醍醐味ですね。

PCI:ラリー・カールトンとのプレーで絶妙な味を出されていたのが、スティーリー・ダンの「Aja」でしたが、その時使用されていた機材は何でしたか?

ディーン:ギターは335。アンプはFender Princeton Reverb AmpにMXR Red Compressorを使ったのと、RolandのJC-120ampも2トラックで使いました。 この当時コーラスを使うにはこのアンプしかなかったと思いますので。

PCI:70年代は多忙を極められましたね。 その後の仕事内容はどう変化しましたか?

ディーン:1978年までは超多忙でした。 この後、スローダウンして仕事の量を減らしました。 そしてプロデュースの仕事を増やしていったんです。 そして、また1983年からマイペースでギタープレーの仕事を始めました。 アコースティックギターのサウンドを見直し、アコギの仕事を増やしていきました。

PCI:あなたのアコギのプレーはジェイ・グレイドンも絶賛していました。 実際あなたと初めてお会いしたのは7月のNAMM Nashville展示会のSanta Cruzというアコギメーカーのブースでしたね。

ディーン:そうでしたね。 NAMMではあちこちのアコギメーカーのブースで試し弾きをしましたよ。

PCI:1983年からは、アコギでのプレーや、映画関係、TVショー関係の仕事を中心に広範囲でマイペースで活動されてこられたんですね。 それでは最近の活動について教えて頂けますか?

ディーン:最近はナッシュビルでよくセッションするんでよくあっちに居ます。 LAではTeresa James & The RythmTrampsという人気ブルースバンドのライブで弾いたり、バーバラ・ストライザンドのクリスマスアルバムのレコーディングや映画音楽の仕事やらマイペースでやってます。

PCI:そうですか。 アコギはそこに置いてあるOLSONをメインで使用されてるんですか?

ディーン: そうです。 いいギターですよ。 これはライブでメインに使います。(そう言ってアンプにつないで弾いてくれる。 彼の体の一部の様にピッタリと絵になる。 音も良く、しばらくうっとりと皆聞き惚れる。)

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)

PCI:これはバジー・フェイトン・チューニング・システム採用ですね?

ディーン:そうです。 よく判りましたね。 ナットやブリッジが改造、調整されています。 

PCI:これはMr. OLSONがされたのですか?

ディーン:いやJohn Carruthersがやってくれたんです。

PCI:そうですか。Johnとは我々も友達なんですよ。 彼とはよく会われるんですか?

ディーン:時々ね。 それから、エレキギターの方はTylerのを使っているんで、James Tylerにもよく会いますよ。 

 
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