第12回:モスクワツアー(その2)
「『真実を見つける鍵』と可哀相なルーブル紙幣」


いくら印象に残ったとはいえ、それでももう7年も前の話である。記憶が曖昧なところも多々あるのだが、なんとか思い出せる範囲で書いてゆこうと思う。前回の投稿でもいくつかの例を挙げたように、モスクワの街を半日も歩けば、そこに共産主義時代の名残を見つけるのはけして難しい事ではなかった。それもその筈、俺の見たモスクワはソビエト連邦の解体(1991年)から僅か6年後の姿だった訳だから。突然の民主化と同時に猛烈な勢いで流れ込む西側文化の洪水に、その流れに乗りゆく者達と溺れゆく者達との差が、貧富の差という姿に変って街中のそこかしこに現れ出ていた。「共産主義に戻せ!」と、赤い旗を掲げて広場に集まる人々のほとんどは高齢者。地下鉄の通路では年老いた女性が、寒さに震えながら手編みのレースを細々と売っている。大通りに目を向ければ、男達が新車のメルセデスに美しいロシア女性を乗せて西側資本のナイトクラブに繰り出す。マフィアの台頭、街全体に共存する活気、戸惑い、そして苛立ち。

その当時、他のいくつかの国々と同様に、ロシアでもアメリカ・ドルの力は絶大で、タクシー・ドライバーなどは自国の貨幣よりもアメリカ・ドルでの支払いを歓迎し、5ドル札を渡せば、モスクワ市内なら何処まででも乗せて行ってくれた。ロシアで流通していた最も低額の紙幣が確か100ルーブル紙幣だったと思う。メンバーの一人がトイレに行った際、あいにくトイレット・ペーパーが切れていた。ポケットの中を探しても、ティッシュは持ち合わせておらず、一体、どうすれば良いのかとしばし途方にくれた。あるのはルーブル札ばかり...数秒間の暗算の結果、彼はためらわず100ルーブル札を使用したのだった。(当時、ロシアは大変なインフレ状態で、1ドルが約6000ルーブルだったと記憶している。100ルーブルはアメリカの貨幣に換算しても2セントにも満たなかった。しかしツアー後すぐにデノミが行なわれ、100ルーブルが新1ルーブルに切りかえられた。それを踏まえて、帰国の際、ロードマネージャーは俺達バンドメンバーに、将来の希少価値を期待して、低額紙幣はドル換金せずに保管する事を薦めてくれた。)

俺達が演奏したのは、アメリカの巨大タバコ会社資本の、当時モスクワで最もヒップなクラブの一つ。週七日オープンでバンドの演奏は水曜日から日曜日までの五夜、店は連日連夜の満員で、特に金曜、土曜ともなると、24時間客足が途切れる事はなく、大音量の音楽がかけっぱなしになる。それが生演奏のブルースであろうと、カントリーであろうと、ロックであろうと、テクノやユーロ・ビートだろうと、DJのプレーするCDであろうと、ダンスフロアからあふれんばかりの客はいっこうにお構いなしで、途切れることなく延々と踊り続ける。また、若い女性客の割合が多いのに驚かされる、と同時に、その理由を知って更に驚く。混迷の中のロシアや東ヨーロッパにあって、多くの若者達が西側文化、特にアメリカ文化ひいてはアメリカ合衆国へ大きな憧れを抱き、そんな若者達の中でも特に女性達の一部は最も手っ取り早い方法でのアメリカ移住をもくろむ。その方法とは、(当然、アメリカ国籍を持ち、出来るだけ裕福な)アメリカ人男性と知り合い、付き合い、結婚する事、というのだ。ついつい日本を、日本人を思い出してみる。けっして他人事ではない。いや、それが良いとか悪いとかをここで語るつもりは全くない。「国家体制の変化に最も敏感なのは若い女性なのかもしれないな。」などど、訳のわからないことをグダグダ考えながら演奏していたら、肝心なパートで弦が切れた。

また、クラブに出入りするフッカー(娼婦)の数が多いのにも驚かされた。もちろん、その大半がその筋の女性だと誰の目から見ても分かる格好でやってくるのだが、中にはどう見てもごくごく普通の女の子にしか見えないフッカー達もいる。演奏を始めてから三日目位だったと思う。毎晩の様にたった一人で店にやって来ては、大騒ぎで踊りまくる群衆を横目に、バーカウンターに静かに座る東洋人の女性がいるのに気がついた。年の頃で20代中頃に見えるその女性は、その格好の御陰でクラブの中にあって極めて「浮いた」存在になっていた。場に似つかわしくない程あまりにも地味ないでたちなのである。もしあの格好で六本木のディスコにでも行こうものなら、入り口の服装チェックで100%の確率で絶対に入店を断られる。巣鴨の路上でみかんをむかせたら完璧、そんな格好だ。彼女は別に驚いた様なそぶりは見せずに、それでも興味深げにステージの上の俺に視線を向け続けている。

二週目に入っても彼女は来ていた。一回目のセット終了後、バーテンダーにオーダーしたビールがたまたま彼女の横から出て来たので、「こんにちは。」と日本語で声をかけると、彼女は小さな声で「ユー...ジャパニーズ...」と英語で答えた。彼女は10年前に北朝鮮からソ連に移住して来て、現在は学生なのだという。彼女はたどたどしい英語を使い、相変わらず小さな声で、日本の事やニューヨークの事を非常に積極的にあれこれと尋ねた。どうすればグリーン・カードを手に入れられるのか、お金はいくら位かかるのか、仕事はあるのか、家賃は...、などなど。逆に彼女の事、生まれ育った町や北朝鮮に住む家族の話を尋ねると、「あまり憶えていない。」という。ではモスクワの生活や学校は、と聞くと、「毎日が学校と家の行き来のみ。」と、話す事がない、というよりも、あまり話したがらない様子だ。「この店に来るのが楽しみ。」と一言。それでもどこか他にもお気に入りのレストランとか、行きつけのコーヒーショップとか、一軒くらいはあるだろう、と聞くと、「明日いくつかインフォメーションを持って来る。」と言う。とにかく自分の事はほとんど話さなかった。それが彼女を見た最後だった。

翌日、楽屋で「不自然な客もいるもんだな。」と、彼女の話をメンバーや店員達にすると、ロード・マネージャーが「あぁ、昨夜オマエがバーで話してた女だろ。あいつも娼婦だよ。もう、ここ何ヶ月も、ずーっと来てるよ。」と教えてくれた。しかし結局その後も、少なくとも俺が出ている間、彼女はクラブにはやって来なかった。最終日の演奏直前に、「ヒロ、あの北朝鮮の娼婦がさっき来て、この本をオマエに、って。」と、ロードマネージャーが一冊の本をよこした。薄い緑色の表紙の、題名は、「真実を見つける鍵」とでも訳せる、どこかの新興宗教の教祖さんの本だった。「今度彼女が来たら、サンキューって伝えてよ。」と言うと、ロード・マネージャーはいぶかしげな顔で「毎晩来てたのにな、急に来なくなったと思ったら...。変な女だよな。分かったよ、言っとくよ。」と答えた。

今頃彼女はどうしているだろうか?とっくの昔に「鍵」を手に入れ、「真実」を見つけ、今頃は「あーあ、アメリカや日本なんかに行かなくて良かった!」などと言いながら、モスクワで幸せに暮らしているのかもしれない。

「ヒロは日本人だろ?今夜絶対行ったほうがいい店があるぜ!」...。話は前後してしまうが、モスクワで迎えた最初の土曜日の夜、一人の店員が演奏の後に俺をある別の店に連れて行こうとしていた。その別の店とは、モスクワでやはりその当時大人気の、カナダ人オーナーの経営するナイトクラブ。そしてその晩に大盛り上がりで行なわれたというパーティーの題名が、なんと「パール・ハーバー・ナイト」。店員曰く、このカナダ人オーナー、アメリカ合衆国とアメリカ人がなぜか大嫌いで、12月8日の週末には毎年恒例で必ずこのパーティーを開き、朝まで乱痴気騒ぎをするのだそうだ。日本人の俺が行けば、間違いなくVIP待遇、欲しい物は何でも手に入るという。言うまでもなく、丁重に出席をお断りさせてもらった。

デジタル回線だとかインターネットとかという、とんでもない「道具」のおかげで、今では世界中の誰とでも一瞬にして連絡がとれる様になったし、旅客機に乗れば一日足らずで地球の裏側にも行ける。この世の中には実に多くの人々が、全く違った文化や思想や国家やアイデンティティーや価値観の元で毎日を生き抜いているのだ、という事実に、それらの「道具」によって俺を含めた多くの人々が遅ればせながら気付き始めている。ただ、「多くの人々」と言っても、その数はまだまだ絶対的に少な過ぎるし、気付くスピードが「道具」の進歩に比べてあまりにも遅すぎるように思える。俺達一人一人の人間にとって世界は無限と言って良いほど絶対的に広いのに、「道具」の進歩そのものが逆に我々にそう認識させることを阻む存在になってはいないだろうか。大きな世界地図を広げて、自分は一体今何処にいるのだろうか、また隣人達は一体どんな生活をしてどんな事を考え、自分を同じ一隣人としてどう捉えているのだろうか、といったような、絶えず相対的、客観的に自己を見つめるという作業の大切さを痛感する。もし自身の大きさや裕福さ故にその作業の必要性、重要性に気付かずにいる文化や国家がこの世界のどこかに存在するとしたら、それは稚拙で内向きで、とても危険な存在と言わざるを得ない。


蛇足1
「蛇足」...と言うより、こっちの方がメインなのかもしれない。相変わらず投稿の内容が脱線してしまう。「一体、どっちが『蛇足』だ!? 少しは音楽の話をしろ!」と言う声が聞こえてきそうだ。

今から20年以上前、世はまさに大フュージョン・ブームだった。やれサマー・ジャズ・フェスティバルだの、やれEMGピックアップだの、コンポーネント・ギターだの、マルチエフェクトだの、JBLスピーカーだの、デジタルディレイだの...、俺は当時四万円で買った最悪のコンディションの中古テレキャスターを片手に、はっきり言ってどうしていいのか分からなくなっていた。巷をにぎわせているこの手の音楽が出来ない以上、日本でプロミュージシャンとして生きて行くなど不可能に見えた。でもある時、ある二人のギタリストの演奏がそんな俺の迷いを綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれた。一人はスーパー・リバーブにテレキャスターを「直」で繋ぎ、ブリッジ・ピックアップで「ギャリン!!!」と、バンドの中にあって一番デカイ音でリズム・ギターを弾いていたスティーヴ・クロッパー、そしてもう一人のギタリストこそが、ある女性シンガーの歌うビリー・ジョエルの曲で、ブルージーで甘いトーンとフレーズをストラト・キャスターから搾り出すように弾いていた塩次伸二氏である。

今回の日本国内での演奏では、PCIの皆さんのおかげで、なんと、その我が憧れのギタリスト、塩次伸二氏とのセッションが京都と大阪で実現する運びとなった。これはえらい事である。

また、毎年恒例になりつつある宇都宮やつくばでの地元ミュージシャン達とのリラックスしたセッションを始め、東京では二回の演奏が決まっている。11月14日は高円寺の“LUCK’YA”でのセッション。もう一つが28日の“渋谷クロコダイル”。現在Charのドラマーとして活躍する嶋田ヨシタカ氏や、超実力派ベーシストの渡辺茂氏、金子マリや自身のバンド、ゼブラ・ブラザースで大忙しのベテラン・ギタリスト、小松原貴士氏などなど、日本のトップクラスのミュージシャン達が参加してくれる。かなり濃厚な内容のギグになる事は間違いないので、是非期待していただきたい。

こうした素晴らしいミュージシャン達との演奏を徹底的に楽しみたいと思ってるのは勿論だが、更にもう一歩踏み込んで、今回の日本では出来るだけ多くの歌手の方達と演奏する機会を持ちたいと思っている。今、日本にはどんな素晴らしい歌手が活躍されているのか、今までになく待ち遠しい帰国だ。

蛇足2
11月13日に宇都宮で行なわれるセッションには、若干15歳の天才ギタリスト、小松大地が参加する。ギターを弾くために生まれて来た少年、大地君には、俺の耳から煙が出るまでギターを弾いていただこうと思っている。

蛇足3
今回の日本では、Gibson ES335、Xotic XT Hiro Model、それからACとRCの二つのブースターを使用する。このコラムで時々紹介してきた、いくつかのアイデアを実際にステージの上でプレー出来たら、と思っている。

ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah Coleman)バンドのリズムギタリスト。
デボラ・コールマンのサイトは↓
http://www.deborahcoleman.com/index.htm

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